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文人愛用味わい住所印ギャラリーその2――医師・歌人 二宮冬鳥




去年2009年の11月15日、


『二宮冬鳥全歌集』(井上生二編集)という


誠にありがたい本が砂子屋書房より上梓されました。



ちょっと高価でしたが、持っておきたい本なので求めました。







収録歌集は


『青嚢集』・『靜黄』・『黄眠集』・

『日本の髪』・『南脣集』・『昨夢集』・

『西笑集』・『壷中詠草』・『忘路集』・

『忘路集以後』
で、




全5268首の短歌が収められています。




 



二宮冬鳥全歌集







栞文








二宮冬鳥







二宮冬鳥(1913〜1996、にのみやとうちょう、本名秀夫)は

医師であり、歌人でした。




歌は早川幾忠(はやかわいくただ)に師事し、

幾忠が主宰した「高嶺」を後に冬鳥が引き継いでいます。



斎藤茂吉(さいとうもきち、1882〜1953)や

水原秋櫻子(みずはらしゅうおうし、1892〜1981)も医歌人でしたね。




 

敗戰後數年間の雜誌經營といふものは、

地獄の作業に似てゐるところがあつた。

紙の確保のためには、みなが知慧を使ひ果たした。

數連の紙を發見すると、

吹雪の中にリヤカアを引いて取りにいつた


(『二宮冬鳥全歌集』、黄眠集後記、PP.201―202)






 

アミラーゼは蛋白質なりといふことを一九三九年に吾はいひにき 
(黄眠集、昭和21年)




コンタクトレンズつけたる現身のなきがらをときに思ふことあり
(忘路集、昭和61年)




人のからだ診るためにゆく郊外のこの道はつねに直線なり
(南脣集、昭和32年)




室生寺にゆきし四人の三たり亡く一人のみなるわれの心臓
(忘路集、昭和61年)




龍安寺のごとき李辰慮慊イ覆啓疾犬療磴肋さく樂(たぬ)し
(黄眠集、昭和29年)




歌にならぬやう歌にならぬやうにと作るうた一つの悲劇の如く思へど
(黄眠集、昭和27年)




あまり美しくなきをとめごがハンカチを顏にあてたりする事のあり
(黄眠集、昭和22年)




木の下にくればますぐとなれる雨細きあめおと傘の上にあり
(靜黄)




もみぢ葉の終はりし耶馬の溪のなか床磐垣磐を越えてゆく水
(靜黄)




眼の惡く廣瀬淡窓をりたりし疊の上にすわるしばらく
(靜黄)

 





師の早川幾忠は、

「黄眠集」の序文の最後を以下のように結んでいます。



世間の短歌というものがどれも苦虫を噛みつぶしたようで、

またみんながみんなまるで大名のお使者のように

切口上になっていると述べた後、



 


……そこへ行くと二宮君の歌は、

どれもどれも微笑してゐるのであるが、

人によるとかう言ふ微笑を、

眞劍でないと言つてきらふものである。

これは丁度明治・大正の文學少年であつたわたくしどもが、

深刻でないと文學でないと思つてゐたのと似てゐるが、

文學の方では、ひところの宇野浩二さんだの、

井伏鱒二さんみたいのが出て來て大分變つた。

短歌の方では土屋さんなどが、

ときどき複雑な大笑ひをして見せるが、

若い連中の中には、

まだまだそれをば不謹愼の類に數へる。

本當は短歌と言ふ短歌が、

まるでかうデスマスクでもかぶつたやうに見えるのが、

よほど不思議だと思ふがどうであらう。

わたくしの少年時代の短歌作法には、

「笑つたりすると處罰する」と言ふ憲法があつたが、

いまだにその憲法がまもられてゐるやうであり、

わたくしなどには奇妙でならない。

  一九五六・七・八 
                早川幾忠


         (『二宮冬鳥全歌集』、p.123)






作風同様、

冬鳥が愛用していた住所印も力が抜けていて冬鳥らしいと思います。

冬鳥自刻なのでしょうか。



 



二宮冬鳥の手紙






部分拡大






二宮冬鳥筆の「様」字
 






 

夜おそき眠りつづきて目ざめたる枕に印譜のたぐひを置けり
(壷中詠草、昭和57年)




玉堂の新しき印二顆を加ふ計三十五顆おほくは壯年期にて
(南脣集、昭和31年)





本書に附された年譜によると、

昭和28年、

久留米醫科大学教授兼大牟田市立病院長となりました。

同28年6月26日、

久留米地方の大水害に遭い、

家財を失ったようで、

同28年7月、

この住所印の住所である大牟田市正山町に、

「高嶺」の発行所と共に転居したようです。

手紙は昭和36年ですので冬鳥48歳。



 

長押(なげし)より上に殘れる水のあと家の中にありしものはみな死す
(黄眠集、昭和28年)




大水害で家財を全て失ったことがわかります。





 

いちど二度たまひし葉書うしなひし筑後川の水よ齋藤茂吉よ
(西笑集、昭和49年)






和玄も、冬鳥の住所印をイメージしたものを、

以前、ひとつ作ったことがあります。

それは、

冬鳥の住所印とほぼ同じの、

縦長の長方形+中央に境界線、というデザインでしたが、

そのようなデザインを商品化するには、

文字数の制約がきつくなりますので、商品化はしていません。

住所氏名は百人百色で、

そのような枠デザインにうまく収まる住所氏名が多いとは思えないからです。
 
 
ただ、
 
枠の形は変えていますが、

文字の雰囲気については冬鳥の住所印文字を参考にした住所印がひとつございます。

寧洛菴の
ほのぼの住所印」のページをご覧ください。






話を戻します。


先の冬鳥の手紙は、

彼がある人に過日見せて貰った

仙僉覆擦鵑い、1750〜1837、江戸後期の画僧)の絵画が

どうしても欲しくて、


どうか譲ってもらえないかとその人に重ね重ねお願いする内容です。


いくらまでなら出せるという事も記されています。




偏見かもしれませんが、

仙僂粒┐どうしても欲しいという感性からして、

冬鳥はおもしろい人だと思います。

仙僂箸いΩ譴鯑れた冬鳥の歌をよむと、

相当な仙僖灰譽ターであったことがわかります。





 



二宮冬鳥の手紙






 

仙僂煉断世励蕕噺亀舛稜初のうたととしくれば掛く 
(昨夢集、昭和41年)




仙僂鯡生綟(あさつて)もちてくるといふ高良山の繪と詩との半折
(昨夢集、昭和44年)




仙僂慮廚笋△笋△励蕕鮨發譴討海箸靴鬚佑ふあはれこの年
(西笑集、昭和49年)




仙僂鮟め集めて幾百かあつめしはての經語一巻 
(壷中詠草、昭和59年)




仙僂慮廚笋△笋△励蕕鮨發譴萄遒蠅群里僚銃麈のち 
(忘路集、昭和61年)




百貨店の仙囘犬鮓にきたり僞物の數をかぞへてかへる
(昨夢集、昭和47年)





また、

冬鳥は書画愛好のほか、

刀剣の目利きでもあり、

木や花の趣味もあったようです。



年譜によると、

昭和40年に日本美術刀剣保存協会から奧傳位を受けています。


昭和54年には、仙僂亡悗靴董

当時東北大学の教授であった辻惟雄氏の訪問を受けたようです。


 

校正をおきて本阿彌光室と光温の折紙だして見てをり  
(西笑集、昭和54年)




書繪畫刀劍陶磁彫刻工藝品出土品吉利支丹遺物二宮冬鳥
(西笑集、昭和51年)




わが持ちし重要文化財六つ指定ことわりし經筒ふたつ 
(忘路集、昭和62年)




それぞれに色ことなれる小庭のうへの牡丹のなかの牡丹いろ
(壷中詠草、昭和59年)




大牟田に白きさざんくわ置きてきて久留米の庭のをりふしの赤
(壷中詠草、昭和57年)






昭和43年、

冬鳥は大牟田から久留米に、

発行所とともに転居したようです。





作歌についての冬鳥の心構えがうかがえる一節を引きます。



 

……作歌の上の心構へとしては、

自分のスタイルで眞實を追究する以外にないと思つてゐる。

約言すると、

短歌には眞實がありさへすればいいと考へる。

眞實を正確に傳へるために表現があるのだが、

その方法は、

冩實によつて具象化を常住することだと信じてゐる。

これは理屈ではない。

私は毎月三千首ほどの歌稿をみてゐるが、

ときどきの感動をおぼえるのは、

まことに具象化の行はれてゐる場合だけである。



スタイルは、できるだけ新しい方がいいのかもしれない。

しかし、スタイルに力をそそぎすぎると、

本質から離れてゆく危險を甘受しなければならない。

はかない私の作品についても、

私の棄てようと思つてゐるものを、

友人がほめてくれることがある。

その歌のスタイルは新しくはないのだが、

やはりどこかに眞實がふくまれてゐるらしいのであつた。

短歌は、

さういふありかたのものであつていいのかもしれない。



時代性などといふものは、

ひつくりかへる性質のものである。

一般的な新しさは、表面の動搖にすぎない。

永遠的なもの、過去を凌駕したもののみが新しい。

さうして、このことは、

眞實を把握することによつてのみ可能となる。

私は自然詠をも尊重してゐる。

ただ、作品として、

過去を凌駕するに至るもののないことは遺憾である。
……


(『二宮冬鳥全歌集』、pp.202-203)








 

百人の病院長が集まりて聞く若き官吏の抽象語群 
(南脣集、昭和34年)




去年まできてゐし聲とちがふこゑ蛙鳴きゐるわが庭の水
(南脣集、昭和34年)




夜ふかく目ざめゐるとき音たてて人の車がかならず行けり
(忘路集、昭和61年)




紅白のつつじが消えて朱の色のさつきが殘り梅雨ちかづきぬ
(忘路集以後、平成3年)




さいはての北に居りたる十日のち九州の木はみなまろく見ゆ
(南脣集、昭和34)




かまど山と梁塵祕抄にうたはれし寶滿山にけふも雲きつ
(西笑集、昭和51年)




マドリードのプエルタ・デル・ソルといふ地區も記憶を去らむすでに去りたり
(西笑集、昭和51年)




この年のきさらぎ終はる寒き夜評論のなかの歌のみ讀めり
(黄眠集、昭和27年)




日本の文學のながれ變へたりし人の硯はちさくのこりぬ
(西笑集、昭和55年)




食べ終へぬ妻を殘して寢にゆけば言はねど妻はさびしかるべし
(西笑集、昭和55年)




萩芒桔梗龍膽女郎花彼岸花あきのきりんさうわれの七草
(昨夢集、昭和45年)




わが下駄の下にきたりてとかげ死す生まれし石のあたりと思ふ
(昨夢集、昭和45年)




階段を昇るときまた降るるとき右の膝いたむことがありああ
(昨夢集、昭和45年)



法隆寺の塔
藥師寺の塔みればなぜ思ふわれの生まれにし國
(昨夢集、昭和47年)




をととしも去年も來にし奈良の道うたを思はず鹿を撫でをり
(西笑集、昭和49年)





平淡な冬鳥の歌を読んでいると楽しくなってきます。







・・・・・・・・・・・・・・・・・・








↓早川幾忠筆の書画五点


早川幾忠筆書画3.jpg









早川幾忠筆書画2.jpg









早川幾忠筆書画4.jpg













早川幾忠の書.jpg













早川幾忠筆書画1.jpg

















耶馬溪 大分県
和玄メモ

 


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篆ゴム印(てんごむいん)の「
和玄堂




篆刻住所印「
寧洛菴(ネイラクアン)」





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