ひらがなの「ぬ」
2008.08.25 Monday | category:文字の書き方ミニミニ講座
奈良吉野
2008.08.24 Sunday | category:奈良メモ
奈良吉野路は古社寺や桜や紅葉で有名なところです。また、かつて吉野には、後醍醐天皇から4代続いた南朝がありました。
桜の時期は、「下千本」「中千本」「上千本」「奥千本」など、一目千本といわれる桜のビューポイントが満載です。ピーク時は人がぎゅうぎゅうになるほど混み合い、時には人が押し合って危ない場面もあるようです。
反対に夏の今は閑散としているため、社寺巡りもゆっくりとでき、桜はありませんが森林の眺めも貸切状態です。
今回、吉野まで近鉄電車で行きました。近鉄吉野駅は、観光シーズンには人であふれるそうですが、繁忙期以外の時期は1日400人余りしか利用しない、大変のどかな駅です。


吉野駅を出て少し歩くと、「吉野山ロープウェイ」という小さなケーブルがあります。下の「千本口駅」から上の「吉野山駅」までの短い運行で、上まで約5分でした。片道大人350円、小人180円(何歳まで小人かわかりません)で、往復切符を買うとちょっと安くなるようです。帰りは下り坂ですので私たちは歩きましたが、20分ぐらいで吉野駅まで着きましたよ。


今の時期はケーブル利用者も少なく、出発時間までの間ゴンドラの中で待っている人は、私と妻の2人と、上に家があると思しき常連のおばさんの3人だけでした。そして出発時間の間際、ケーブルのおばさん(ケーブルの切符を売っているおばさん、という意味)が近鉄吉野駅の方に向かって大声で「ケーブル出ますよーっ!」と叫ばれると、1人が遠くから走ってこられました(笑)。豪快です。
こういうものに乗ると、すれ違うもう一方のゴンドラの写真をつい撮ってしまいます。
上に着くとまず黒門があり、それを抜けると観光地によくある光景と同じように、左右にお土産物屋や食事処が並んでいます。吉野名物吉野葛や柿の葉寿司のお店がたくさんありますよ。

途中柿の葉寿司を食べたのですが、今まで見たことも無いような鯖の薄さに驚きました
。しかも異常に塩が強く、たまたまひとつだけかなーっと期待しましたが、全てでした。ちょっとがっかりです。柿の葉寿司もお店によって当たり外れがあるようです。


黒門からほとんどの社寺には徒歩で行けますが、やや遠い場所にある金峯神社(世界遺産)や「奥千本」へは、ケーブルを降りた辺りからバスが出ていました。
黒門から少し歩くと、世界遺産・金峯山寺の銅鳥居があります。銅鳥居の近くには、書家辻本史邑によって書かれた「大村説南翁頌徳碑」がありました。勝己は史邑の本名です。


その後、金峯山寺蔵王堂(世界遺産)や、吉水神社(世界遺産)などに参り、吉野水分神社(世界遺産)の手前まで行って引き返しました。

金峯山寺蔵王堂は創立年代不詳のようですが、寺伝によると、7世紀に修験道開祖・役行者によって創建されたとなっているようです。高さ約34メートルの蔵王堂は、木造建築では東大寺大仏殿に次ぐスケールといいます。




今、山口誓子の『季語随想』(桜楓社、昭和62年)を読んでいて、「鶯」という2月の季語の中で、「銅蓮」に触れた文章がありました。以下に引いてみます。
この文章を読んでいるときは、銅蓮がどのような物か分からなかったのですが、蔵王堂に立派な銅蓮があり、水を湛えている様子を実感することができました。ちょうど雨後でしたので、水が落ちてくる心地よい音を聴けました。風情がありますね
。

吉水神社はもとは金峯山寺の僧坊です。日本最古の書院建築で見応え十分ですよ。秋は紅葉
も美しいようです。


行った日が、ちょうど雨の激しく降った後で秋のように涼しく、気持ち良く歩き回ることができました。


涼しいこともあり、トイレが近くなって探し回っていると、やっと表示がありました。表示まで近付くと、この先「
260メートル」…… 結構細くて険しい道を歩きました(笑)。

次行くときは、金峯神社や「義経隠れ塔」、また、西行が3年間過ごしたという庵「西行庵」まで足をのばしたいと思います
。

桜の時期は、「下千本」「中千本」「上千本」「奥千本」など、一目千本といわれる桜のビューポイントが満載です。ピーク時は人がぎゅうぎゅうになるほど混み合い、時には人が押し合って危ない場面もあるようです。
反対に夏の今は閑散としているため、社寺巡りもゆっくりとでき、桜はありませんが森林の眺めも貸切状態です。
今回、吉野まで近鉄電車で行きました。近鉄吉野駅は、観光シーズンには人であふれるそうですが、繁忙期以外の時期は1日400人余りしか利用しない、大変のどかな駅です。


吉野駅を出て少し歩くと、「吉野山ロープウェイ」という小さなケーブルがあります。下の「千本口駅」から上の「吉野山駅」までの短い運行で、上まで約5分でした。片道大人350円、小人180円(何歳まで小人かわかりません)で、往復切符を買うとちょっと安くなるようです。帰りは下り坂ですので私たちは歩きましたが、20分ぐらいで吉野駅まで着きましたよ。


今の時期はケーブル利用者も少なく、出発時間までの間ゴンドラの中で待っている人は、私と妻の2人と、上に家があると思しき常連のおばさんの3人だけでした。そして出発時間の間際、ケーブルのおばさん(ケーブルの切符を売っているおばさん、という意味)が近鉄吉野駅の方に向かって大声で「ケーブル出ますよーっ!」と叫ばれると、1人が遠くから走ってこられました(笑)。豪快です。
こういうものに乗ると、すれ違うもう一方のゴンドラの写真をつい撮ってしまいます。
上に着くとまず黒門があり、それを抜けると観光地によくある光景と同じように、左右にお土産物屋や食事処が並んでいます。吉野名物吉野葛や柿の葉寿司のお店がたくさんありますよ。

途中柿の葉寿司を食べたのですが、今まで見たことも無いような鯖の薄さに驚きました
。しかも異常に塩が強く、たまたまひとつだけかなーっと期待しましたが、全てでした。ちょっとがっかりです。柿の葉寿司もお店によって当たり外れがあるようです。

黒門からほとんどの社寺には徒歩で行けますが、やや遠い場所にある金峯神社(世界遺産)や「奥千本」へは、ケーブルを降りた辺りからバスが出ていました。
黒門から少し歩くと、世界遺産・金峯山寺の銅鳥居があります。銅鳥居の近くには、書家辻本史邑によって書かれた「大村説南翁頌徳碑」がありました。勝己は史邑の本名です。


その後、金峯山寺蔵王堂(世界遺産)や、吉水神社(世界遺産)などに参り、吉野水分神社(世界遺産)の手前まで行って引き返しました。

金峯山寺蔵王堂は創立年代不詳のようですが、寺伝によると、7世紀に修験道開祖・役行者によって創建されたとなっているようです。高さ約34メートルの蔵王堂は、木造建築では東大寺大仏殿に次ぐスケールといいます。




今、山口誓子の『季語随想』(桜楓社、昭和62年)を読んでいて、「鶯」という2月の季語の中で、「銅蓮」に触れた文章がありました。以下に引いてみます。
鶯
鶯は早春から鳴く。
うぐひすや銅蓮水を湛ぬる 召波
「銅蓮」は銅で作つた蓮の水盤。お寺の本堂の両脇にあって、戸樋の雨水を湛へてゐる。「湛ぬる」は「たたへぬる」と読む。
作者は、蕪村と同時代の作家。銅蓮は昔からあつたのだ。
大寺の銅蓮に雨水を一杯湛へ、水面は真平で、しづもつてゐる。
どこかで鶯の鳴く声がする。その声が銅蓮の水までとどく。鶯の鳴く声と銅蓮にしづもる水。その水が鶯の声を引き立ててゐる。(pp.48-49)
この文章を読んでいるときは、銅蓮がどのような物か分からなかったのですが、蔵王堂に立派な銅蓮があり、水を湛えている様子を実感することができました。ちょうど雨後でしたので、水が落ちてくる心地よい音を聴けました。風情がありますね
。
吉水神社はもとは金峯山寺の僧坊です。日本最古の書院建築で見応え十分ですよ。秋は紅葉
も美しいようです。

行った日が、ちょうど雨の激しく降った後で秋のように涼しく、気持ち良く歩き回ることができました。


涼しいこともあり、トイレが近くなって探し回っていると、やっと表示がありました。表示まで近付くと、この先「
260メートル」…… 結構細くて険しい道を歩きました(笑)。
次行くときは、金峯神社や「義経隠れ塔」、また、西行が3年間過ごしたという庵「西行庵」まで足をのばしたいと思います
。
ひらがなの「に」
2008.08.23 Saturday | category:文字の書き方ミニミニ講座
大北海道市
2008.08.22 Friday | category:グルメモ(その他)
8月24日まで、京都大丸で「大北海道市」をしているということで、ちょっと見に行ってきました。

何となく十勝「サザエ食品」の鯛焼きと「十勝べーグル」のベーグル、それと、江別市「サンタクリーム」の“ご馳走プリン”を買って帰りました。

「十勝べーグル」には、北海道産及び十勝小麦、十勝の水、大樹町特産「シラカバ樹液」などが使われいるようで、それに惹かれてつい買ってしまいました。日本がほとんど輸入に頼っている小麦を、道産や十勝産にしているのが魅力的です。
ひとつ315円とやや高めの「ご馳走プリン」は、なめらかな食感がいい感じです。

「北海道市」に行くと、少しの間だけ北海道に旅行したような気分になれます。

何となく十勝「サザエ食品」の鯛焼きと「十勝べーグル」のベーグル、それと、江別市「サンタクリーム」の“ご馳走プリン”を買って帰りました。

「十勝べーグル」には、北海道産及び十勝小麦、十勝の水、大樹町特産「シラカバ樹液」などが使われいるようで、それに惹かれてつい買ってしまいました。日本がほとんど輸入に頼っている小麦を、道産や十勝産にしているのが魅力的です。
ひとつ315円とやや高めの「ご馳走プリン」は、なめらかな食感がいい感じです。

「北海道市」に行くと、少しの間だけ北海道に旅行したような気分になれます。
一期一会
2008.08.21 Thursday | category:その他メモ
ベランダを何度掃除しても、黒い土のようなものが落ちているので不思議に思っていると、サンダルのゴム底がポロポロと落ちていたのが原因でした(笑)。思えばだいぶ長い間使っていました。
靴底で思い出した話があります。
5日前の8月15日は終戦記念日でしたが、この8月は特に戦争のことをいろいろ考えます。
1945年9月2日、当時の外相・重光葵(しげみつまもる、1887〜1957)がアメリカの戦艦・ミズーリ号の艦上で降伏文書に署名している写真がありますが、やや震えた文字からも当時の緊迫と悲惨さが伝わってきます。今は戦争体験をした人も少なくなり、じかに話を聞く機会も減ってきました。
この和玄メモに、「幽玄翁の思い出」として時々書かせていただいている幽玄さんは、5人いた弟子を全員戦争で亡くされています。1人は辛うじて生還されたそうですが、戦争で見た光景のショックで身体の調子がおかしくなり、復員後しばらくして亡くなられたそうです。
その弟子は、開戦後すぐ中国に渡り、食べ物もほとんど無い中、何キロ歩いたかわからないくらい山間を駆け巡ったといいます。すぐに靴底が抜けて足の皮はめくれ、葉っぱなどを底にくくり付けては道なき道を歩いたそうです。戦時中は無抵抗の敵を前にしても上官の命令には背けず、目をつぶるとその時自分がしてしまった光景が出てきて、復員後すぐに病気になってしまわれたようです。戦争が犯した罪の重さは計り知れません。首相の靖国参拝も、本当に複雑な問題だと思います。
2008年8月15日の朝日新聞(朝刊京都版)に、「お茶と戦争 1」という記事が載っていて、当時の「一期一会」に衝撃を受けました。


茶道裏千家の前家元・千玄室さんは、同志社大生であった1943年に学徒動員され、特攻隊員として出撃を待っていたそうです。
攻撃が本格化する前の頃、訓練が終わってから飛行場でよく仲間らに茶をふるまったようで、談笑しながら茶を飲んでいるその瞬間、みんな戦争の恐怖を一時的に忘れていたといいます。
しかし、現実には次々と20歳そこそこの仲間が散っていき、毎回壮絶な「一期一会」の茶席が続いていました。
玄室さんは運よく待機のまま終戦を迎えられ、復員して父にたててもらった一服のおいしさに心底感動し、その時から、茶をもう飲めない人たちのためや平和のため、茶をたてていくと決められたようです。
これまで、茶を介した外国訪問は300回を超え、85歳の今も年10回の割合で訪問されるそうです。心を衝き動かされた体験の規模が、いかに大きかったかをうかがうことができます。
戦争体験をされた人にとって、その状況は様々であったと思いますが、かつて飛行場で、死を目の前にして仲間ととも茶を飲んでいた青年がいたことに衝撃を受けました。
靴底で思い出した話があります。
5日前の8月15日は終戦記念日でしたが、この8月は特に戦争のことをいろいろ考えます。
1945年9月2日、当時の外相・重光葵(しげみつまもる、1887〜1957)がアメリカの戦艦・ミズーリ号の艦上で降伏文書に署名している写真がありますが、やや震えた文字からも当時の緊迫と悲惨さが伝わってきます。今は戦争体験をした人も少なくなり、じかに話を聞く機会も減ってきました。
この和玄メモに、「幽玄翁の思い出」として時々書かせていただいている幽玄さんは、5人いた弟子を全員戦争で亡くされています。1人は辛うじて生還されたそうですが、戦争で見た光景のショックで身体の調子がおかしくなり、復員後しばらくして亡くなられたそうです。
その弟子は、開戦後すぐ中国に渡り、食べ物もほとんど無い中、何キロ歩いたかわからないくらい山間を駆け巡ったといいます。すぐに靴底が抜けて足の皮はめくれ、葉っぱなどを底にくくり付けては道なき道を歩いたそうです。戦時中は無抵抗の敵を前にしても上官の命令には背けず、目をつぶるとその時自分がしてしまった光景が出てきて、復員後すぐに病気になってしまわれたようです。戦争が犯した罪の重さは計り知れません。首相の靖国参拝も、本当に複雑な問題だと思います。
2008年8月15日の朝日新聞(朝刊京都版)に、「お茶と戦争 1」という記事が載っていて、当時の「一期一会」に衝撃を受けました。


茶道裏千家の前家元・千玄室さんは、同志社大生であった1943年に学徒動員され、特攻隊員として出撃を待っていたそうです。
攻撃が本格化する前の頃、訓練が終わってから飛行場でよく仲間らに茶をふるまったようで、談笑しながら茶を飲んでいるその瞬間、みんな戦争の恐怖を一時的に忘れていたといいます。
しかし、現実には次々と20歳そこそこの仲間が散っていき、毎回壮絶な「一期一会」の茶席が続いていました。
玄室さんは運よく待機のまま終戦を迎えられ、復員して父にたててもらった一服のおいしさに心底感動し、その時から、茶をもう飲めない人たちのためや平和のため、茶をたてていくと決められたようです。
これまで、茶を介した外国訪問は300回を超え、85歳の今も年10回の割合で訪問されるそうです。心を衝き動かされた体験の規模が、いかに大きかったかをうかがうことができます。
戦争体験をされた人にとって、その状況は様々であったと思いますが、かつて飛行場で、死を目の前にして仲間ととも茶を飲んでいた青年がいたことに衝撃を受けました。
チョコレートケーキ
2008.08.20 Wednesday | category:グルメモ(その他)
菓匠「千壽庵吉宗」のわらび餅
2008.08.19 Tuesday | category:和菓子(^^)メモ・京都・奈良etc





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