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文人愛用味わい住所印ギャラリーその1――小説家・吉屋信子





この度、「和玄メモ」に新しいカテゴリーを設けました。


文人愛用味わい住所印ギャラリー」と題して、


かつての文化人が愛用した

“味わい手彫り住所印”を時々紹介していこうと思います。




現代の手紙で、

手作りの住所印が捺された手紙をもらうことは

それほど頻繁にありませんが、


かつての文士や芸術家の手紙には、

粋な住所印が捺されたものがたくさん見受けられます。



「住所印は人を現わす」と思えるほど、

硬軟たのしいバリエーションに富んでいます。



封筒に筆やペンで宛名を書いた勢いで、

封筒の裏に自分の住所氏名をぱぱっと書いた方が、

印泥や朱肉を出す必要もなく断然手間がかからないのですが、

かつての文士は、住所氏名を示す役割というだけでなく、

明らかに封筒や葉書に添えるデザイン、

あるいはアクセントとして、

住所印を愛用していました。

ごく短い住所でも住所印を作っています。





◇◇◇



住所印ギャラリー第1回は、

小説家・吉屋信子(よしやのぶこ、1896〜1973)愛用の住所印です。



 



『吉屋信子 黒薔薇の處女たちのために紡いだ夢』
(2008年、河出書房新社)




 

na.jpg


吉屋信子記念館(吉屋信子旧居)


鎌倉駅西口から徒歩15分〜20分




nb.jpg





 

最初に吉屋信子の名前を知ったのは、小説からではなく、


「吉屋信子記念館」が鎌倉市の長谷にあることを、

昔雑誌か何かで読んだ時でした。


「吉屋信子記念館」は信子旧邸↑です。

 

吉田五十八(よしだいそや、1894〜1974)に設計を依頼した

“近代数奇屋建築”に、

彼女が住んでいたということに、

文化人的な魅力を大いに感じました。





『花物語』、『黒薔薇』、『あの道この道』、

『安宅家の人々』、『源氏物語』、『徳川の夫人たち』、

『良人の貞操』、『女人平家』、「鬼火」等々、

当時の女流作家第一人者として膨大な著作がある吉屋信子は、

今は記念館となっているこの建物に、

昭和37年(吉屋66歳)から、

亡くなる昭和48年まで住んでいたということです。




 



吉屋信子渡欧前の壮行会   同書より
前列右端が与謝野晶子
その隣が信子 信子の左隣が今井邦子

よさの‐あきこ【与謝野晶子】
歌人。旧姓、鳳(ほう)。堺市生れ。堺女学校卒。寛の妻。
新詩社に加わり、雑誌「明星」で活躍。
格調清新、内容は大胆奔放。
歌集「みだれ髪」「佐保姫」「春泥集」のほか、
「新訳源氏物語」など。(1878〜1942)
広辞苑より

 




吉屋信子といえば少女小説のイメージが強い感じですが、

少女小説と一般小説を同時に書き進め、

後年になるほど一般小説にほぼウエイトを置いたということです。

彼女は多彩な物語を展開しています。



吉屋信子記念館は、春と秋、決まった日に一般公開されています。

吉田五十八は、五島美術館や大和文華館、成田山新勝寺本堂など、

その他多数の名建築を設計した建築家。





五島吉.jpg

五島美術館(東京)


広辞苑より
よしだ‐いそや【吉田五十八】
建築家。東京生れ。東京芸大教授。数寄屋建築に独自の様式をみせる。代表作に歌舞伎座・日本芸術院会館・吉田茂邸などがある。文化勲章。(1894〜1974)






 



左・瀬戸内晴美(寂聴) 右・吉屋信子

同書より

岡本かの子文学碑除幕式


岡本かの子(1889~1939、小説家・歌人)は、
岡本太郎の母堂


吉屋信子は、

学生上がりの文学少女の頃、

生田花世の紹介で岡本かの子と

初対面したとき、

自分の名前を告げると、

「『文章世界』や『新潮』の投書欄で

あなたのもの

ずっと前から

わたし愛読していますのよ」


「わたくしはもう有名になった方の

作品を読むより

投書欄の若いひとたちの

いっしょうけんめいに書かれた

投書の文章がほんとうに好き!」

と、

大きな眼を爛々とさせたかの子に

そう告げられたようです。



作家志望という

人生の一大冒険の道を歩むことに

迷いがあった信子は、

そのとき、

(小説家になる…石にかじりついても!)

と決心したといいます。



「岡本かの子がわたくしの投書を読み

その名をあざやかに

記憶しているという言葉が

さながら天来の福音となって

わたくしを奮い立たせてしまった」。




吉屋信子は、かの子の眼を、

「まったく濡れた大粒の黒真珠のような瞳は、

時としてその顔中全体が二つの眼だけに

なってしまう感じだった」

と形容していますが、



岡本太郎のような

眼で迫ってこられると、

それはそれは相当な

インパクトだったのだと思います。


 




住所印の話題からどんどん離れていってますね(苦笑)。





◇◇◇




さて、下の写真は信子の手紙です。

この手紙に捺された吉屋信子愛用住所印(材質・石材、刻者は不明)は、

東京下落合の住所になっています。


 



吉屋信子筆の手紙







けっこうかわいい






 

『吉屋信子 黒薔薇の處女たちのために紡いだ夢』(2008年、河出書房新社)に

載っている「吉屋信子略年譜」によると、


昭和元年、

吉屋信子30歳のときにこの下落合の住所に家を建てています。



手紙の消印は昭和5年、信子34歳です。

万年筆で書かれた書線の雰囲気は、いい空気感だと思います。

「様」もいい感じ。




 



封書表





年譜によると、

昭和10年、39歳まで下落合に住み、

その年の秋、牛込区砂土原に家を建て転居。

砂土原の家は昭和20年の東京大空襲で焼失、

その後千代田区などに住み、


昭和37年、

66歳のときに鎌倉市長谷(先ほどの写真です。吉屋信子記念館になっています)に

終のすみかを建てました。
 



 



下落合の自宅にて

同書より






『吉屋信子 黒薔薇の處女たちのために紡いだ夢』からの孫引きになりますが、

『ゆめはるか吉屋信子――秋灯机の上の幾山河』という

評伝を著した作家・田辺聖子氏は、

『吉屋信子全集』第1巻月報2所収のエッセイ「『花物語』と私」に、

 

吉屋信子女史の存在なくして、

私の一生はありえない気がする。

それほど私は、女史に密着した女の人生を送ってきた。

少女時代は、

「吉屋信子」の小説に塗りつぶされすぎた。……




と記していらっしゃいます。



また、

田辺聖子氏が自分の小説をはじめて吉屋先生に捧げたとき、

先生からお直筆のお葉書を頂戴し、

まさに夢のようだった、

ともエッセイの中に記されています。




憧れの人から直筆の手紙を貰うとうれしい。

電子メールが飛び交う今も、

手紙の力はやはりメールよりだいぶ強いのかもしれませんね。





 



『吉屋信子句集』、吉屋千代編

昭和49年、東京美術





 

初暦知らぬ月日は美しく (昭和24年)




郵便夫急ぐ枯野はあたたかに (昭和34年)




犬眠るその犬小舍に春の雨 (昭和44年)



















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ae.jpg

「和玄堂」の“篆ゴム印(てんごむいん)” 900円〜

















「花」(花見月印)は隷書では本来「」の形がベターですが、
現実の一般的な文字生活と、
はんことしての実用性・言葉のイメージを考慮し、
はんこのような字体にしています。
あらかじめご了承ください。








お店のメニューなどにもグッド。















yf.jpg






和玄堂「月の異称篆ゴム印セット」は特製桐箱入り。

バラ販売もございます(バラの場合、桐箱サービスはございません)

「和玄堂」のホームページ




 




よしや‐のぶこ【吉屋信子】
小説家。新潟県生れ。栃木高女卒。清純な感傷性によって女性に支持された。
作「地の果まで」「良人の貞操」「安宅家の人々」など。(1896〜1973)

広辞苑より


「和の遊印」、はじめました。寧洛菴

「手紙(便箋)の書き方」和玄メモ



ねいらくあん
 





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