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西陣「鳥岩楼(とりいわろう)」京都市上京区

 




数年前に谷崎潤一郎の短い随筆

京都を想ふ
昭和37年12月19日毎日新聞初出を読んだときから、




今出川の「鳥岩楼」(とりいわろう)のことが気になっていました。


谷崎潤一郎の随筆には鳥岩と書いてありますが、おそらく鳥岩楼のことだと思います。「京都・堀川通下長者上る」に「鳥岩」という鶏肉専門店がありますが、場所は今出川とはいえませんので、こちらの鳥岩のことではないはずです

 



 たにざき‐じゅんいちろう【谷崎潤一郎】
小説家・劇作家。東京生れ。東大中退。第2次「新思潮」同人。「刺青(しせい)」「少年」など、耽美と背徳の空想的な世界を華麗に描いたが、大正後期から日本的な伝統美に傾倒し、王朝文学の息吹きを現代に生かした新しい境地を拓いた。作「蓼喰ふ虫」「春琴抄」「細雪」「少将滋幹の母」など。文化勲章。

(1886〜1965)広辞苑より



 

鳥岩楼玄関.jpg

西陣・鳥岩楼

 

 

……さやうな次第で、

心はいつも京都に飛んでゐる。



食べる物も出來得る限り

京都から運んで貰つてゐる。



肉は神戸牛や松阪牛ならぬ近江牛、

これも京都から大きなかたまりで送つて來る。



夏でも特急で持つて來て、

熱海驛(駅)で落して貰ふ。



鶏肉は今出川の鳥岩のを、

腸だけ抜いて丸ごとで送らせる。



魚は、鯛、ぐじ、鱧、鰆、鮎、等々を、

四條のたん熊、銀閣寺の山月から、

生菓子は堺町の松屋のがらん餅、深山路、

鱧ずしは祇園のいづう、錦の井傳、と、

大體(大体)決つてゐる。



東京へ行つても辻留か濱作(浜作)で、

食べるのはやはり京都料理である。

 






老年に及び、外出が思ふに任せなくなると、

食ひ物より外樂しみがなくなるので、

一層食ひ辛抱になるが、

それでも現地へ出かけなければ

食べられない物がいくらもある。



大好きな鯛のうしほは、

こちらまで鯛を運んで來て

吸物にしたのでは、

どうしても生臭い。



赤魚(あかを)の生ちりや梅肉も、

めつたにこちらでは味はへない。



私が足腰の不自由を忍んで

春と秋とに京都へ行くのは、

食ひ辛抱の關係が大いにある。



行けば北白川の親戚の若夫婦の家の二階を

全部占領して半月ばかり厄介になり、

その間に出來るだけ多く行きたいところへ行き、

見たいものを見、

食べたいものを食べて廻る。



幸ひなことに、

京都は熱海のやうに山坂が多くなく、

東京のやうに
(乗物)が雑沓しないので、

思ふところへ簡單に行ける。



騒がしい東京や熱海から來て驛に下りると、

何よりも先づほつとする。



買ひたいと思ふもの、

見たいと思ふもの、

食べたいと思ふものが、

河原町から四條通り邊に集つてゐて、

たやすく用が便じるのも有難い。



考へれば考へる程こんないゝ所はない。



健康には替へられないと云つたものゝ、

少しぐらゐ壽命をちゞめても

又京都へ移らうかと、

眞面目に考へることもある。
……(谷崎潤一郎「京都を想ふ」より

 

 






お店のホームページを見てみると、

お昼(1214)限定の、

気軽に入れるような感じの、親子丼を載せていらっしゃいました。

 





気になってから何年も経過した先日、


ようやくその親子丼をいただきました。







 

鳥岩楼店内.jpg


 

 




古風な雰囲気の店内に入ると、

すぐに2階へ通されます。






 

鳥岩楼階段.jpg

 


 






風情ある静かな通路を歩き、



やや急な古風な階段をのぼり、




親子丼専用の2階にたどり着くと、




 

 

鳥岩楼昼時間.jpg

丼時間

 

 




座敷に、


びっくりするくらい、

たくさんのお客さん(その日は半分ほどがアジア系外国人旅行者でした)が

いらっしゃいました(もっとも、日によってはもっと少ないかもしれませんし、もっと多いかもしれません)。

 

 





すき間に小さく座って、

ぎゅうぎゅうの状態でいただいているイメージを想像されるとわかりやすいと思います。




客全員がひとつのグループのような感じです。




ちょっとびっくりしてしまう人が多いかもしれません。





 
 

鳥岩楼親子丼.jpg

鳥岩楼の親子丼
 

 




座敷に座っていると暗黙のうちに親子丼がやってきます。



あるお客さんが「あのぉ、、親子丼を・・ふたつぅ」と


おっしゃっていましたが、


店員さんは「あっ、はい」だけです。

 

 




スープ・たくあん付きで800円。




蕎麦屋さんでよく、

蕎麦に小丼が付いているセットがありますが(丼に小そばかな)、

こちらの親子丼は、その附属の小丼のような感じです。


味つけはやや濃いめ。


鳥肉はさすがにクセのないすっきりとした味わい。


鳥のカワもさほど気になりません。





 

 

今出川西陣鳥岩楼親子丼.jpg

のっている卵はうずらです。
 


 




椅子席はなく、

階段(手すりはありません)もありますので、

立ったり座ったり

昇ったり降りたりすることがつらい年齢の方にはちょっときついと思います。

 



 

鳥岩楼夜おしながき.jpg


鳥岩楼夜メニュー







鳥岩楼瓦当.jpg









鳥岩楼あじろ.jpg






鳥岩楼木額.jpg

西陣・鳥岩楼

京都市上京区五辻通智恵光院西入る

12001400(入店)

17002000(入店)

木曜日休(祝日の場合は営業)




◇◇◇◇◇◇◇◇

2015.2追記


京都・鳥岩楼とりいわろう当.jpg


事情により親子丼は
当分の間お休みさせて頂きます
鳥岩楼



◇◇◇◇◇◇◇












西陣でであったネコ.jpg

西陣のネコ




 

最後に松子夫人の文章を少しひいておきます。

 

 

(谷崎潤一郎は)朝食のあとに、魚屋さんにその日の生きのよいお魚を聞くのが日課になっていまして、昼食、夕食の献立を必ず自分で命じますので、献立を考える手数は省けましたが、それを用意するためにときには東京まで出かけたりしなければならず、それが贅沢といえば贅沢でした。生きた鮎を持ってきて下さる人があって、お昼にそれをおかゆの煮上ったところに投げこんで鮎がゆと称して頂いたのも思い出します。
 


戦争中疎開しました津山(岡山県)の生活が私共の一番たべものに苦労しましたときで、たいへんみじめなおもいを致しましたが、お昼に忘れられないことがあります。あるとき私共の様子をみかね知り合いが卵二個を恵んで下さり、それをお客の昼食に料理して差し上げたところ、あとで勝手なことをしたと、結婚してはじめてといっていいほど叱られ「食物のうらみは恐いぞ」と脅す始末でした。そんな様子でしたから津山から逃げ出して、もっと奥の勝山へ移りましたが、勝山はまだものに恵まれておりまして、谷崎はいつも買いものかごをさげて自分で買い出しに行ったものです。この勝山に、岡山に疎開中の荷風先生がはるばるお訪ね下さって、お帰りの車中で私が差し上げたおにぎりのお昼をよろこんで下さったことは、先生の「罹災日録」にも出ておりますし、……






ちなみに、谷崎潤一郎は日頃、松子夫人のことを呼ぶとき、
“チョットー”と声を張り上げて呼んでいたようです。

近所の人が蔭で“ちょっとさん“というくらい、
近くにも聞こえていたとか。

潤一郎が亡くなった後、
松子夫人が初めて夢の中で聞いたのは、

この、

チョットーの声
にゃはにゃは♪





・・・・・・・・・・・・・・
ながい‐かふう【永井荷風】
小説家。本名、壮吉。東京生れ。東京外語学校中退。広津柳浪に師事、
「地獄の花」などでゾラを紹介。
のち、明治末期に耽美享楽の作風に転じた。
当代文明への嫌悪を語りながら、江戸戯作の世界に隠れ、花柳界など下層狭斜の風俗を描いた。
作「あめりか物語」「すみだ川」「腕くらべ」「おかめ笹」「〓東綺譚」、
日記「断腸亭日乗」など。文化勲章。(1879〜1959)同

 


梅紅白蕾.jpg


左端谷崎.jpg

左端・潤一郎





枝垂れ桜.jpg



永井荷風.jpg

永井荷風



桃.jpg





京都桜枝垂れ.jpg



谷崎潤一郎裸像.jpg

潤一郎裸像








梅林.jpg




潤一郎と松子夫人.jpg

潤一郎と松子夫人
昭和23年



梅京都.jpg





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「北大路魯山人生誕地」京都 (上賀茂神社や焼き餅も)

 
京都「大徳寺・だいとくじ」界隈


 
琵琶湖疎水「水路閣(すいろかく)」 京都市左京区


 
「加茂みたらし茶屋」 京都下鴨神社近く


 
日本最古の和菓子屋さん「一文字屋和助(一和)」
京都今宮神社門前




 
春の京都



 
秋の京都


 






ah安田靫彦画「谷崎潤一郎氏.jpg

安田靫彦画「谷崎潤一郎氏像」


やすだ‐ゆきひこ【安田靫彦】
日本画家。本名、新三郎。東京生れ。
小堀鞆音(ともと)に師事。
日本美術院の中心画家として活躍。
歴史画を得意とする。
東京芸大教授。作「黄瀬川の陣」など。
文化勲章。(1884〜1978)





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篆ゴム印(てんごむいん)の「和玄堂




 

篆刻住所印「寧洛菴(ネイラクアン)」



 





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