「第26回国民文化祭・京都2011」オープニングパレードと、「藤子不二雄Ⓐトークショー」
- 2011.10.30 Sunday
- 京都メモ
今年の国民文化祭は、
京都での開催(2011年10月29日〜2011年11月6日まで)。
都大路オープニングパレードが、御池通りにて行われました。
スポンサードリンク
・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・
また、京都市では、この文化祭を彩る事業のひとつとして、
「マンガアートフェスティバル」が開催されています。
スポットが当てられているマンガ家は赤塚不二夫。
現在、京都・烏丸御池の京都国際マンガミュージアムにて、
「赤塚不二夫マンガ大学展」が
開催されています(2011年10月29日〜2011年12月25日)。
↑
京都国際マンガミュージアム
初日のイベントとして、「藤子不二雄Ⓐトークショー」がありました。
『忍者ハットリくん』や『怪物くん』や
『プロゴルファー猿』で有名な
藤子不二雄Ⓐ氏は77歳。
めちゃくちゃパワフル。
内臓関係の病気は一度もないそうです。
トキワ荘時代のエピソードなど、とても楽しく聴かせていただきました。
温かみのあるトークショーでした。
奇跡的なマンガ家の卵が集まったトキワ荘、
司会進行された京都精華大学の先生も、
歴史のアヤが少しでも違っていたら、
また全く違うマンガ界になったでしょうね、
とおっしゃっていました。
ある日、赤塚不二夫氏は、もうマンガ家をやめて、
新宿でボーイをするのだと、
トキワ荘の仲間に打ち明けられたようです。
お金がない状況では、トキワ荘の家賃も払えません。
今描いている少女マンガではなく、
ギャグマンガを描きたいのに、
なかなかその希望が叶わなかった赤塚不二夫。
その時、トキワ荘の仲間であった寺田ヒロオが、たんすから6万円を出し、
このお金が無くなったら、何をしても構わない、
と引き留めたようです。
家賃3000円だったトキワ荘、このお金があれば半年以上暮らしていけます。
その後、続々とギャグマンガをヒットさせた赤塚不二夫、
生来の性格とお酒の力が相まって生活自体もマンガ化していき、
後進には惜しみなくお金を与えたようです。
藤子不二雄Ⓐ氏は、
「赤塚氏は別次元の世界に行ってしまった」とおっしゃっていました。
また、人を育てることに身を尽くしたのは、
あのときの寺田氏の好意を終生忘れなかったからだろう、
と話されていました。
マンガ界は年々進化し、
氏は、
「進撃の巨人」を読みびっくりされたようです。
今の人はこのマンガを受け入れるのか、と。
同年代のマンガ家はほとんどいなくなり、パーティーに行っても、
知らない人がほとんど。
進行の方が、「でも、みんな藤子不二雄Ⓐ先生のことはご存知ですよ」。
「そうなんだよ。みんな記念撮影したい、記念撮影したいと寄ってくるんだ。
この前なんて、若い子に、
“生きている間に藤子不二雄Ⓐ先生に会えるとは
思いもよりませんでした”と言われたんだよ。
化石化してる?」(笑)。
ぼくも、何と言うか、
藤子不二雄Ⓐ先生のトークショーを聴けるなんて、
本当に思ってもみませんでした。
はるか彼方の人と思っていた方が、
すぐ目の前でトーク。なんとも不思議でした。
マンガミュージアム側も、
長い間、念願のトークショーだったようです。
マンガミュージアムを訪れる人は年間30万人。
そのうち、外国からの入館者は約一割。
このミュージアムに入ると、みんなの集中力には本当に驚きます。
今、インドでは、忍者ハットリくんが人気ナンバー1のようです。
「なぜインドで人気があるのか、大学で研究して下さいよ」
とお願いされていました(笑)。
「はい、これは面白い研究テーマですねぇ」
世界二番目のインド人口、この国でヒットしたら、強烈ですね。
◇◇◇
和玄メモ
↓
- 2011.10.30 Sunday
- 京都メモ
- 08:13
- -
- -
- by 手作り住所印のお店「寧洛菴」中谷和玄