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文人愛用味わい住所印ギャラリーその8――書家 日下部鳴鶴・巌谷一六・阪正臣





なぜこの三人を一緒に書くかというと、


三人とも河井荃廬(かわいせんろ、1871〜1945、西冷印社の初期のメンバー)という


篆刻家に住所印を依頼していたからです。




河井荃廬は、彼らの姓名印や雅号印なども多く手掛けていました。




 



河井荃廬

『荃廬先生印存』より







日下部鳴鶴(くさかべめいかく、書家、1838〜1922)と

巌谷一六(いわやいちろく、政治家・書家、1834〜1905)筆の葉書、

宛名がちょうど同じで、かれらの書風の違いが、

これらの葉書の文字から一目瞭然です。



 


↑左 巌谷一六のハガキ    ↑右 日下部鳴鶴のハガキ




くさかべ‐めいかく【日下部鳴鶴】

書家。名は東作。東嶼・翠雨とも号す。彦根の人。

初め巻菱湖(まきりょうこ)・貫名(ぬきな)海屋

〓遂良(ちょすいりょう)ら、

のち清の楊守敬の書法を学んだ。

その書法は鳴鶴流といわれ、

一世を風靡。(1838〜1922)



いわや‐いちろく【巌谷一六】 

幕末・明治の書家。名は修、号は迂堂。

近江水口(みなくち)藩士。小波の父。

初め巻菱湖(まきりょうこ)・

趙子昂(ちょうすごう)の書風に学び、

のち清の楊守敬と交遊し、

書風一変、飄逸の風韻があった。

詩文も堪能。(1834〜1905)


広辞苑より↑










日下部鳴鶴愛用の住所印↑(中国北魏楷書風
            右の字は「殿」


河井荃廬刻











日下部鳴鶴












巌谷一六愛用住所印↑(中国北魏楷書風)
            右の字は「殿」

河井荃廬刻














阪正臣(ばんまさおみ、仮名書家、1855〜1931)筆の
ハガキ









阪正臣愛用の住所印(文字は隷書)
         ↑河井荃廬刻








彼らの葉書に捺された住所印、

ややかすれていますので、


『荃廬先生印存』(尚友会編、1976年、二玄社、1450部限定)から以下に引用します。





 



『荃廬先生印存』








『荃廬先生印存』より









『荃廬先生印存』より










『荃廬先生印存』より















これは河井荃廬の住所印(経火)

『荃廬先生印存』より




荃廬は第二次世界大戦の
東京大空襲の爆撃で亡くなりました。


この住所印↑は、
弟子たちによって邸宅の焼け跡から拾い出されたもの。










荃廬筆の「様」字
 
毛筆           万年筆


『河井荃廬の篆刻』(1978年、ニ玄社)より







この『荃廬先生印存』には西川寧(にしかわやすし、1902〜1989)の跋がつけられています。



 

 河井荃廬先生の印譜が完成してほっとしている。長年の重責をやっと果せたというわけである。先生は昭和二十年、七十四歳でなくなられた。それからちょうど三十年である。印譜を作らなければと思い立ったのはいつのことか。二十四年の暮、“書品”が創刊された時から、毎号先生の刻印を載せ、解説を書いて十六回に及んだ。その第一回の解説の中で、私は印譜を出したい希望を書いている。それから見ても二十五年となる。私としては大きな感慨である。

 印譜の資料となる原印の探訪や印影の蒐集については、実に多くの人々の協力を得た。最後にはその数八00面に到ったが、これは偏に同好の諸賢、または嘗て先生に親炙した同門の諸君の協力によるものである。
 
 一人の作家の書画の譜録や印譜は、作の年代によって編年することが、作風の変化を理解するために必要な条件であると考えるので、この印譜も編年することになる。だが刻られた時が明瞭なのはむしろ少いので、いきおい比定によることが多くならざるを得ない。このことで私は長らくなやんで来た。あたかもこの春から小林斗盦君の協力を得て、やっと編集を完了することが出来たのは幸である。

 郭沫若氏は嘗て日本に在住の頃河井先生と親しくした。郭氏の石鼓研究の底本となった、かの三井氏所蔵の安氏旧蔵本の写真などは河井先生から借りたことが、郭先生の文中にも書かれている。私も亦最初河井先生の介紹によって郭先生を識った。こんなえにしで郭氏に封面の題字をお願いした。去昭和三十六年、第二次訪中書道団が上海に行ったとき、故呉倉石翁の高弟で上海藝苑の大家である王个簃氏にお目にかかった。同氏の口から図らずも河井先生の名が出たので、聞いて見ると、会面の機はなかったが、呉翁が河井荃廬は大へんすぐれた人だから機会があったら一度会って見るようにと云ったという。呉翁は先生が三十代から師事した人だが、翁はそんなに先生を推重していた。こんなわけで、私は王氏に印譜への題辞をお願いした。日本人で先生に親交を結んだ人々は皆故人となっているので何もお願い出来なかった。
 
 この印譜は先生の若冠にはじまって晩年に到る総数八00面を含んでいる。今見得る先生の刻印のほぼ全貌を網羅したといっていい。この印譜の編集終えてつくづく思うことは、先生の刻印が日本の印学史上に観止であること、また中国と日本を通じて近世の印学の別幟であるということ。これを有道の覧に呈することが出来たことを幸栄とする。

   
  昭和四十九年十二月             西川寧謹識









 



郭沫若(かくまつじゃく、1892〜1978)の題字

かく‐まつじゃく【郭沫若】 
(Guo Moruo)中国の文学者・政治家。名は開貞。四川の人。
日本の九大医学部卒。
郁達夫らと創造社を興す。北伐に従軍後、
日本に亡命するが日中戦争開始とともに帰国、
抗日救国の文化活動に活躍。
人民共和国成立後は中国科学院長など政府要職を務めた。
詩集「女神」、歴史劇「屈原」、「中国古代社会研究」など。
(1892〜1978)

広辞苑より↑











王个簃の題辞
























文人愛用味わい住所印ギャラリー目次





 

 

 

a日下部鳴鶴書クサカベメイカ.jpg

日下部鳴鶴筆

 

 

 

 

 

 

 

巌谷一六筆

a巌谷一六書いわやいちろく.jpg







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