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現代的なセンスの文字……、考えれば考えるほど難しい。




昨夜急に思い立って本棚の整理をしていると、

榊莫山氏の『書道基礎講座 手紙篇』(昭和41年・創元社)

久しぶりに奥から出てきました。



 








莫山先生
2000年10月20日の読売夕刊より。

本棚を整理していると、
奥からこの黄色くなった切り抜きも出てきました。
莫山邸は敷地3000坪







以前所用で北海道旭川に行ったとき、

当地の古書屋さんに入り、

たまたま買って帰った本です。

なぜかよく覚えています。

前にも読んでいましたが、

また本棚の前でざっと読み返しました。

本を整理するとこうなるからなかなか片付きません。




本書のはしがきをまず引いてみます。
 



手紙の書き方――という本は

たくさんあります。

しかし、そのほとんどは、

クラシックな文字のスタイルで

概念的な書式を示したもののようです。

そこには、

上代の典麗があっても、

現代人の生のいぶきは

感じられないようです。

手紙は生きていなければなりません。

それには、

現代人の感性が

ほのぼのとあふれたもので

なければなりません。

この手紙篇では、

手紙を書く以前の問題である

〈手紙を書く心〉をまず考え、

いろいろな書き方と

新しい様式を示しながら、

あなたの性格にふさわしく、

美しい個性的な書きぶりを

していただこうと思って

編集してあります。……





とまぁこんな感じで始まります。




そして、本文途中で、

「現代的なセンスの文字」という節が出てきます。





「現代的なセンス」というのは、

その名の通り「今風の感覚」ということですが、


一体何が今風かということは

突き詰めていけば難しいことですので、

今はそんな難しいことにはふれません。



というのは、

2000年以上昔に書かれた「木簡」が

100年ちょっと前に中国で出土してから、

それら木簡竹簡文字のセンスが

モダンあるいは新鮮ということで、

現代人がその書を習っているため、

一体何が古風で何が今風かが、

ホントにはっきりわからない感じがします。



まぁそんなややこしいことは

ひとまず横においといて、


とにかく、

この本で著者莫山氏がいいたいことは、

「その時代に即した文字で生き生きとかこう」

ということです。


説明がそのままですね(苦笑)。






筆で文字を書くことが

日常的だった年代といえば、

今の中学生や高校生からかぞえると、

4,5代前の先祖です。



今の中高校生も学校に

「筆箱」を持って行っていますが、

「筆箱」というのは名ばかりで、

まず筆なんて入っていません。





さらに学校で目にする文字といえば、

教科書はじめ活字がほとんどです。

校門に掲げられた校名までも

今は活字が多いかもしれません。




そんな時代に生きる若者に、

平安時代の王朝文字や、

古典の名品のような字を

強制的に習得させるのは無茶な話であって、

当然ノートには、

今の環境に生きる若者らしい文字が並びます。


書写の時間がきわめて少ない昨今、

当然の成り行きです。



メール時代の今、

ヤレ書けソレ書けというのは難しく、

いわゆるうまい肩肘はった字を強制しても、

習う方はなかなか続きません。




そんな思いから、

榊莫山氏は、

若者・初心者でもとっつきやすいよう、

この手紙本を書かれたということです。




氏は、以下のようなことも書かれています。

 

……どうも字を書くのが

にが手だからとか、

こんな字を見られては恥さらしだ、

なんて考える人も

おありのことでしょう。

しかし、

手紙というものは

文字のコンクールではないのです。

飾り気のない簡素なものでよいのです。

誠心をこめて誠意のあふれた

あなたの心情を伝えることが

第一なのですから、

しりごみせずに

書くようにしたいものです。







ほんとこのように言ってもらえると、

筆不精の人も気が楽になりますね。




たいてい手紙の書き方本といえば、

「字が書けないのは恥ずかしい」とか、

「整った美しい文字をかきましょう」とか、

「字は人を表します」とかいって

プレッシャーを与え、

力の入った生臭い文字ばかりを

並べていることがよくあります。

見本自体がガチガチしていると、

書くほうもしんどくなります。




そんな本が多数をしめる中、

莫山氏のような言い方をしてもらえたら、

習いはじめの人の気持ちも楽になります。



和食も美味しいし、

中華もいいし、

イタリアンやフレンチも美味しいし、

親の家庭料理も美味しい、というように、


書も、書く人によって

さまざまな魅力・持ち味があります。



「上代の仮名文字が何より美しい」とか、

「何々流、何々会の文字が一番」とか考えて、

他を見ないようなそんな偏った考え方は

とにかく避けるべきです。





さて、

この『書道基礎講座手紙篇』には、

莫山氏によって書かれた、

ややかしこまった楷書も参考として載せられていますが、

本の性格上、

下の写真のような、

現代的ともいえるラフな感じの見本が

その多くをしめています。


 



『書道基礎講座手紙篇』より


他の本で読んだ話ですが、莫山氏の家に、
「榊墓山様」(さかきぼざんさま)という宛名で
手紙を出してきた友人がいたようです(笑)。

 








余計な力が入っていない

氏の現代的なセンスのラフな文字を見ると、

金冬心(きんとうしん、金農、1687〜1763)の

行草書を彷彿とさせます。↓


氏は金冬心を好まれています。

 



金冬心38歳のときの書
『金冬心行草書詩冊』(昭和46年、清雅堂)より








ただ、金冬心の行草書は、

臨書できそうな書に見えますが、

かなり難しい書です。




このようなラフな莫山氏の手紙を紹介した後には、

やはりその対極にあるような書にふれなければなりません。




篆刻家・河井セン廬(1871〜1945)の

若き日の手紙が遺っています。




 


         ↑河井セン廬28歳の手紙書  ↑ちょっと抹香臭いか
書き損じた分
『河井セン廬の篆刻』(西川寧、1978年、二玄社)より






写真の手紙は、1898年、28歳の河井セン廬が、

当時54歳か55歳だった

中国の篆刻家・呉昌碩(ごしょうせき、1844〜1927)に

宛てた手紙です。




呉昌碩は後年「西泠印社」のリーダーになる大家です。



ただ、写真の手紙は、実際に送ったものではなく、

書き損じを保存してあった分ということです。


和玄は後年のセン廬の文字の方が好きですが、

この時点で、

きわめて神経質だったという

セン廬の性格がよく現れています。



呉昌碩から実際送られてきたという

返信は残っていませんが、

その時ちゃんと返事があり、

後、初対面の彼を丁重に迎えたということです。



 



呉昌碩

g呉昌碩.jpg








当時セン廬は、

日下部鳴鶴(くさかべめいかく、1838〜1922)や

巌谷一六(いわやいちろく、1834〜1905)といった

書の大家に傾倒しており、


この手紙文字からは

彼らの楷書の影響がよくうかがえます。



 


日下部鳴鶴    巌谷一六    中林梧竹




執筆中の日下部鳴鶴
 







鳴鶴や一六は、

1880年に来日した

楊守敬(ようしゅけい、1839〜1915)という学者に、

多くの古碑法帖を見せられて以来、

それらに衝撃をうけていました(※一般的には、楊守敬が最初に多くの古碑法帖を日本に将来したとされていますが、実際は彼が持ち込む数ヶ月前からどんどん入ってきていて、すでに多くの日本人がそれらに触れていたようです)。

 


 



楊守敬








日本に比べてあまりに古碑が多く、

懐が深い中国の書に、

彼らは圧倒され、

初めて触れた北魏楷書にも

のめり込みました。



 



北魏楷書
「魏霊蔵造像記」の旧拓本








そんな北魏楷書に影響を受けた

鳴鶴や一六の書に、

若き日のセン廬は影響を受けています。

先の手紙からそれがわかります。


若くして相当な技術とは思いますが、

現代の若者に与える手本にするとなれば、

それはちょっと無理があります。

「現代的」とはちょっといえません。





話はすこし変わります。


当時、

いわゆる書道界のトップは鳴鶴でしたが、

鳴鶴より2歳上に、

富岡鉄斎(とみおかてっさい、1836〜1924)がいました。



鉄斎は京都に隠棲し、

書画を書いていた儒者です。

鳴鶴や一六とは違うタイプの人です。


この時代は、

鉄斎のような魅惑的な人が

リアルタイムで暮らしていました。


 



画室の鉄斎
『鐵齋の書』(野中吟雪、日本習字普及協会、2007年)より






鳴鶴や一六が北魏楷書に衝撃を受けている頃、


鉄斎は金冬心(金農)の芸術に衝撃を受けていました。

 


 



『書の宇宙21』(石川九楊編、二玄社、2005年)の表紙

 金冬心(金農)最晩年の隷書が使われている。







金冬心が晩年に書いた上の隷書は強烈で、

今でも強烈に感じるこんな書は

当時誰も見たことがなく、

日本人の感覚には馴染めず、

どう受け止めたらいいかもわかりませんでした。



そんな時代、

鉄斎がいち早く冬心を習います。


それまでは、(鉄斎は)

董其昌(とうきしょう、1555〜1636)などを

習っていました。
 


 



鉄斎の書画
『鐵齋の書』より

写真では一見平板な書線に見えますが、
僕はこの作品を実見したとき、
その線質の良さに驚きました。







『鐵齋の書』より

鉄斎は、
「文人画の本領は学問と人格に在り」
と考えていました。
書も画も作品は全て人格、
と考えていた彼には、
書き損じというものが
なかったといいます(『鐵齋の書』、P70)。
よいものができると
得意になったようですが、
悪くても人に渡さないことは
なかったようです。
「一枚書いてその書画に出たものは、
その人以上でも以下でもない」、
こわいことですね。






『鐵齋の書』より

左側の箱書きの楷書も、金冬心の影響が顕著。







d京都粟田口青木木米富岡鉄斎.jpg

富岡鉄斎筆
大正9年85歳
「青木木米碑・粟田陶隠木米記念碑」
(洛陶会)

京都青蓮院門跡門前



c青木木米陶工京都京焼粟田口.jpg





c粟田陶隠木米記念碑富岡きん.jpg







f粟田口京都青木木米青蓮院富.jpg








gきょうと青蓮院大楠粟田口く.jpg

青蓮院の大楠

 






何やら、手紙の話から、

まわりまわって鉄斎の話になってしまい、

「現代的なセンスの文字」というテーマを

まとめる機を逸してます(苦笑)。




どうしましょう。。





 



良寛の手紙
『書道基礎講座手紙篇』より


何卒 白雪羔(はくせつこう) 少々
御恵たまはり度候
(余)の菓子は無用
           沙門良寛
十一月五日
山田杜皐老    良寛



「白雪羔」というお菓子を、
山田杜皐老という人に無心しています。
余の菓子、
つまりそれ以外の菓子は無用、
というところがいい。








だいぶ戻します。



えー、莫山氏は、

先に引用した「はしがき」で、

「手紙は生きていなければなりません」

といわれています。


これはなにより大切です。


 



『莫山美学』(榊莫山、2000年、世界文化社)より


 莫山氏は、
筆や墨や硯・紙の話においても、

魅力的な文章を書かれます。
今、筆・墨・硯・紙、
それぞれ中身ある一冊を書けるような、

文房四宝に明るい書家は、
一体何人ぐらいいるのでしょうか。

そういうのに明るくない先達に、
何を習えばいいの?






要するに、

文字をどうこういうよりも、

人からその手紙をもらってうれしいかどうかです。




「達筆だけど内容がつまらない抜け殻のような手紙」と、


「文字は少々拙いけど中味がある脈打った手紙」が

あったとしたら、和玄は迷わず後者をとります。




小説家や俳人や文人の書簡集は豊富にある上、

内容や文字も滋味あり面白いと思いますが、

かつての書家の、

「書簡集」という存在を

あまり聞いたことがありません。



書家の多くは、

文字を体(てい)よく書くことばかり

意識してしまい、

活字にしたら

中味が空虚だからではないでしょうか。




まぁしかし、

自分で紡いだ言葉を綴る文学者、

手紙に滋味が出て当然ですね。





「手紙は生きていなければなりません」

という部分は、

現代的なセンスの文字を書くこと以上に

大事なことだと思います。





書道界では、

今の時代の人が読める書を書こうということで、

「漢字仮名交じり書」「調和体」などが

最先端のような感じになっていますが、


考えたら江戸時代の手紙なども、

変体仮名が入っているとはいえ

普通に漢字仮名交じり書が通行していたわけで、

どんな文字・形式が現代的かは、

やはり難しい問題です。
 


また話が「現代的なセンスの文字」という

テーマから離れていきました(苦笑)。




何はともあれ、

300年以上昔に生まれた

金冬心(金農)の行草書と、

彼晩年の細身の楷書に、

ぼくはかねてから

何かしらの現代的な可能性を感じています。



また、

冬心は、

「西嶽華山廟碑」という

隷書の古典を

生涯臨書し続けましたが、

そういうしっかりとした

古典を学びながらも、

片方では常に変化を求めていった

彼のそういう態度も、

「現代的なもの」を生むための

大きな参考になるような気がします。


ちょっと強引に締めてみました。





 



金冬心(金農)の行草書  
冬心38歳のときの書
『金冬心行草書詩冊』より


    ↓部分拡大


このような書線の性情と書の感性に和玄はあこがれます。



















金冬心筆手紙 
冬心66歳のときの書(手紙)
『書の宇宙21』より










 



金冬心筆の細身楷書「昔邪之廬詩」  
 『書の宇宙21』より
 
冬心70歳のときの書

シャレた感性


楷書「昔邪之廬詩」↑は、

木版活字をモチーフにしながら


その活字を、手書きで

レトリカル再構築・アレンジした、


現代でも見られないような

新感覚のモダンな書です。



300年以上昔に生きた金冬心(1687〜1763)
の手によって

このような書がすでに生まれていました。



木版の文字をモチーフにしているため、

筆でありながら刀を使うような感覚で、

いわば紙に文字を刻みつけている書です。

すごい書人!







「以待知者看!」 


 










手紙(便箋)の書き方」 和玄メモ



















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ae.jpg

「和玄堂」の“篆ゴム印(てんごむいん)”
900円〜


「和玄堂」のホームページ
 



ek.jpg



















「花」は隷書では本来「芲」の形がベターですが、
現実の一般的な文字生活と、
はんことしての実用性・言葉のイメージを考慮し、
はんこのような字体にしています。
あらかじめご了承ください。
(上段右から三つ目の「花見月」のことです)





お店のメニューなどにもグッド。










yf.jpg












和玄堂「月の異称篆ゴム印セット」は特製桐箱入り。



和玄堂




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ねいらくあん






 





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