財前謙氏編著 『手書きのための漢字字典』
- 2009.05.28 Thursday
- 書画メモ
先日、
友人の財前謙さんが、
『手書きのための漢字字典』を、
明治書院より出版されました。
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『手書きのための漢字字典』
2009年5月 明治書院
常用漢字1945字、及び、
新たに追加が予定されている191字を収録。
手書き文字と明朝体、及びその旧字体を併記。
手書きの際の注意点をわかりやすく赤字で表示。
音訓と基本的筆順も掲載。
部首・画数・漢字コードも掲載。
「手書きのために」で、
手書きの理論について詳しく解説。
付録に、
通用字(異体字)一覧、人名用漢字一覧を掲載。
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帯紙より
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『手書きのための漢字字典』より
許容が赤(赤字もすべて手書き)で記されている。
全国の書店の辞典コーナーに並べられています。
近々、二刷が出るほど、すでに売れ筋書籍となっています。
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書店にて
教育現場にいる教師、
とくに国語教師必携の字典、と捉えられているため、
教育界でもかなり注目されているようです。
この書籍がいかに画期的であるかは、後で書きます。
去年、和玄メモで、
芸術新聞社が発行する書道雑誌『墨』が、
「墨評論賞」という、現代の書に関しての論文を、向こう10年にわたって公募すると書きました。
その第一回「評論賞」の大賞は、
財前謙氏が受賞されました。
氏の論文題目は
「現代の書が無くしているもの――過去という鑑に映して――」です。
『墨』196号に全文掲載されていますよ。
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『墨』196号より
古来、書が言葉とともに認(したた)められ、
それを見る(あるいは読む)側も、
書かれてある言葉を心に刻みながらその“書”を味わい、
また臨書もしてきたということを、
様々な古典に例をとりながらわかりやすく綴っていらっしゃいます。
一読、応募作中の白眉であったのだと感じました。
再読するたびに新しい発見があり圧巻です。
財前さんは、『墨』誌に一年間、「表現の内と外」というテーマの連載を持たれています。
幅広い視野と圧倒的な筆力で、
読者の心をつかんでいらっしゃいます。
味読できる評論ですよ。
さて、
『手書きのための漢字字典』の話に戻ります。
先ず、
編著者はしがきを以下に引きます。
はしがき
文字は本来、手で書くものであった。
しかし、近代以降は活字がその中心の座を占め、
ワープロ、パソコンの普及と共に、
手で文字を書く機会が少なくなっている。
そのため、いざ漢字を書くとなると、
とめるのか、はねるのか、つけるのか、はなすのか等々、
不安を覚えることも多い。
またその際、規範を辞典など活字に求めがちだが、
一般的によく用いられている明朝体は、
筆写の楷書とは大きな相違がある。
活字と手書きの相違を明らかにし、
自信を持って漢字が書けるように、
手書きの規範を示したのが本書である。
平成二十一年三月 財前謙
「手書きのため」の「漢字」の「字典」という名が示すように、
これは、活字体の『漢和辞典』とは、およそ性格が異なります。
というのは、
漢和辞典などの、漢字を扱った辞典は、
印刷活字を掲載しているため、
「手書き」の参考にはなりにくく、
手書き文字の参考にするには無理があります。
例えば明朝体活字の「之」(漢和辞典から撮影↓)なども、
手書きでは左下部の強い筆押さえは作りませんね。
「表」の左下部の「見せ掛け二画」も同じです。
これが、活字と手書きの違いです。
「活字の字体」と「手書きの字形」は、違うものがある、ということです。
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活字のような極端な筆押さえをつけない
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活字とは異なる
財前氏の『手書きのための漢字字典』は、
何度もいいますが、
その名の通り「手書きのため」という画期的な漢字字典であり、
「字典」ともいうように、
筆者が自身の型を全面的に前に出すのではなく、
“古来手で書かれてきた”、活字ではない「手書き」の楷書の形の「規範」を示してくれるという、
すこぶる便利な字典になります。
しかも、
多くの人が現在書いている楷書から極端に逸脱するものではありません。
現在の状況も当然踏まえられています。
過去と現在の状況を鑑み、最大公約数的に規範を示されています。
この字典は、今までありそうで無かった字典なんです
日頃文字を書いていると、
ここは「止める」のか「はねる」のか、
「はらう」のか、「つける」のか、など、
さあ考えるとわからない部分がでてきますが、
この字典には、
この迷い・あやふやを解消してくれるという大きな特長があります。
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『手書きのための漢字字典』より
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『手書きのための漢字字典』より
例えば、
2009年3月26日に開かれたという、
国語施策懇談会に関する記事を見ると、
「しんにゅう」の上部が1点か2点かなど、
いつもよくわからない感じになって、
「結局一体どっちなん?」と突っ込みたくなりますが、
この、しんにゅうの2点は、
『康煕字典』(こうきじてん)という明朝体活字で印刷された字典に採用された字体であって、
手書きの字体とは異なることは、財前氏が以下の論考で明快に記されています。
2009年3月31日「朝日新聞」朝刊より
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「字体の擾乱――楷書と印刷文字との揺れをめぐって――」より
上の記事は、『大東 書道研究』第16号(大東文化大学書道研究所、2009年3月)の一節ですが、
「字体の擾乱――楷書と印刷文字との揺れをめぐって――」というテーマで縦横無尽に論じられています。
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『大東 書道研究』
第16号より
この論考第1章「正体追求の概要」では、
秦始皇帝の文字統一から明朝体活字完成までがわかりやすく述べられ、
明朝体活字の字体を正体とし、
その活字の形とやや異なるものが異体字や俗字とされる現在の状況が、
本来なおざりにはできないものだ、
という、
そういう問題提起をされています。
「楷書と印刷文字との揺れ」は、
今までちゃんと議論されてこなかったという現実があります。
『手書きのための漢字字典』につけられた、
財前氏による「手書きのために」という解説文には、
漢字と仮名の歴史、字書と規範、常用漢字表……など、
さらに詳しく簡潔に記されていますので、
その記事を読めば、
以上のことがすっと頭に入ってきますよ。
この文章は相当な力作だと思います。
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『手書きのための漢字字典』の中に書かれている。
こみいったことを簡潔・丁寧にまとめた文章。
必読!!
また、
先の「字体の擾乱――楷書と印刷文字との揺れをめぐって――」を発表される前の2007年10月にも、
手書き文字の多様性を先人の例に求めて論じられました。
早稲田大学125周年記念企画展として、
“早稲田大学會津八一記念博物館”で開催された
「會津八一と早稲田大学」展での図録(展覧会と同名)に掲載されている財前氏の論文がそれです。
氏は「題簽の中の會津八一」という論考の中で、
文字に対する八一の博識さを紹介されています。
題簽(だいせん)とは、書籍の表題が書かれた紙片です。
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図録表紙
紙に向かってこれから書く“書”について
ジッと考える会津八一
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会津八一筆の題簽
図録より
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「題簽の中の會津八一」
図録より
この「題簽の中の會津八一」では、
八一が書いた多くの本の題簽を例にあげつつ、
活字と書写上では、その形に差があるものが多いということが述べられていて、
八一の題簽を見ただけで、
八一の文字に対する博識さ、柔軟さをつぶさに知ることができます。
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「題簽の中の會津八一」より
財前氏は、
『手書きのための漢字字典』を出すにあたって、
あらゆる古典の楷書を精査され、
過去から連綿と手書きされてきた形を調べ尽くし、
手で書きやすい手書きの自然な形を示されています。
莫大な資料をもとに字典を作り上げられたことは言うまでもありません。
さらに、
氏は、
教科書関係の仕事もされていたため、
豊富な視野を持っておられます。
ところで、
この「手書きのため」ということには、
「身体性」も大きく関係してきます。
要するに、
先人が手を使って書いてきた以上、
書き易い形というものが最大公約数的に集約されてきます。
昔人は、
明朝体のような活字の字体に縛られて、
文字を書いてきたわけではありませんでした。
そこには多様性がありました。
明朝体は明時代(1368〜1644)以降にできた書体であり、
それ以前に長い長い書の歴史があります。
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「字体の擾乱――楷書と印刷文字との揺れをめぐって――」より
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「字体の擾乱――楷書と印刷文字との揺れをめぐって――」より
例えば、
小学校で習う学習漢字の「木」の2画目縦画は“とめ”になっていますが、
身体を使って文字を書くと、
3・4画目への流れで、
縦画の最後は、
“はね”た形になることが自然で、
「ここはトメ」などという堅苦しい指導は、
実際はおかしなことなんです。
どちらでもいいんです。
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左は小学校で習う学習漢字の字形
(2画目をとめている)
右は古来書かれてきた形で、
ハネは許容。
2画目の最後はハネて、
3画目に気持ちがつながっていく。
身体の動きから考えて、ハネる方が自然。
財前氏が、
「身体が記憶するという筆写の経験なくして、
トメ・ハネの許容と誤字との境界は構築できないだろう」
といわれる所以はここにある。
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「禾」(のぎへん)にしても、
学習漢字では3画目をトメているが、
3画目は、
次の4画目につながるため、
“ハネ”てもかまわない。
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「刀」の1画目のハネは、
次につながるから当然ハネる。
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学習漢字では「葉」のように、
下部の「木」が押しつぶされたような形になっているが、
上の字のように、
最終2画を、
点々と書くほうが、
手書きの場合は書きやすい。
古来、手書きではこのように書かれてきた。
(*また、「木」部分の2画目は、ハネるのが自然です)
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「楽」の「木」部分も、
さきほどの「葉」と同じように考えます。
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○部をハネてしまうと、
「于」になりますので、
「梅于 茶づけ」になってしまいます。
「干」の最終画はハネません。
梅があるために、まあ「干」とわかりますが、
単体なら、
「干」なのか「于」なのか、
よくわかりません。
大きな企業の商品の文字なのだから、
採用する前に、
会社内部の誰かが、
「《干》の三画目は、
ハネていない字体のフォントを使った方が
無難じゃないですか?」
というような意見をいうべき。
◇◇◇
ここで、
「それなら、なんで、〈利〉の最終画である、りっとう2画目をはねたり、
〈河〉の最終画、つまり次につながらない縦画をはねるん?」
という質問がありそうですが、
これらは
下のような
「隷書」(れいしょ)の名残と考えられるため、
“ハネ”てあるんです。
文字が手で書かれてきた以上、
身体性という視点を見逃すわけにはいきません。
教師はきちんと歴史を理解して論理的に答えられるようになる必要があります。
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最終画をハネるのは隷書(下)の名残
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最終画をハネるのは同じく隷書の影響
「木」を「KI」と打って文字を画面に出している間は、
先に示した、
「木」の縦画をハネてもいいのかどうかを理解できるはずがありません。
手で文字を書くということは、
今では珍しいようなことになってしまっていますが、
手元にペンと紙さえあれば、
ハガキや封筒、便箋に文字が即座に書けるんです。
電源を入れる必要もなく、
プリンターも要らず、
長いコードもインクも使わず、
人と普通に交われます。
手で書くと「わぁー手書きだ」と、
現代人の多くは感じるようですが、
何千年と人は手で文字を書いてきたんです。
小さい子供は、鉛筆と紙があれば、無心で落書きをしたり、一生懸命字を書いたりしますが、
これは取りも直さず、
「手書き」が、
本来の人間らしい営みであるということを、
つぶさに示してくれています。
理屈ではなくただ手で書きたいという本能を人間はもともと持っています。
「手書きの文字と活字文字は違う」、
という財前氏の文字に対する積年の思い、
そして、
今後も、
教師でさえはっきり理解することなく、
教育現場は混乱していくであろうという氏の憂い。
それらがきっかけとなって、
今般、
満を持して『手書きのための漢字字典』を刊行されました。
教師はもちろん、
一家に一冊備えておくと便利な字典ですよ!
この字典の中に書かれている「手書きのために」という解説文も、何度もいいますが必読です。
この「手書きのために」は、
1、漢字と仮名の歴史
2、字書と規範
3、常用漢字表
4、手書きの習慣
5、異体字
6、筆順 で構成されています。
これらの中から、
「6 筆順」の一部の文章を引用して、
このメモを終わります。
6 筆順
筆順は、先人が書き易く、
格好よく書くために生み出してきたものである。
したがって、
筆順についての原則がはじめからあって、
それに従って書いたものでもなければ、
また一字に一つずつの筆順を
決めるなどということもなかった。
筆脈から、文字を覚えていくうちに
自然と筆順が身につくというものであった。
特に日本では幕末まで一部の学者を除き、
日常読み書きとして使用する文字は仮名文字であり、
公文書は御家流とよばれる行書であったので、
楷書の筆順そのものの意識は低かった。
仮名や行書はその習得の段階で
同時に筆順を身につけざるを得なかったのである。
したがって、結論をいえば、
絶対的な筆順というものは存在しない。
しかし、文字文化に活字が浸透し、
楷書が文字文化の圧倒的な中心を
占めるようになったとき、
筆順の統一が図られ、
特に教育上、
これを一つに統一して習得させることが求められた。
昭和三四年(1959)に
文部省は「筆順指導の手びき」を出し、
学校教育での指導に配慮した筆順の基準を示した。
「筆順指導の手びき」で示されている筆順は、
例外はあるものの、
日常使用する文字を合理的に、
書き易く、
また整えて書くのにふさわしい書き方を
示したものである。
同書「まえがき」によれば、
「同一構造の部分はなるべく同一の筆順に
統一するという観点で検討を加え」たもので、
それまで踏襲されてきた
個々の筆順と異なるものも多々ある。
ここで例として、
「上」字には、「縦画→横画→横画」という筆順の他、
「横→縦→横」という筆順もあることが示されます。
それでも「筆順指導の手びき」に示された筆順には
それなりの妥当性があり、
まずはこれを身につけること、
また特に義務教育においては、
これの習得が肝要であるのはいうをまたない。
ただし、今日では「正しい筆順」を
必要以上に重要視する傾向がある。
文字を合理的に書きやすく、
また整えて書くのにふさわしい書き方を身につけ、
その上で筆順はこれだけではないということを
理解しておくことも必要である。
「筆順指導の手びき」による筆順は、
一つの目安として考えることが望ましい。
このあとに、
「筆順の基本原則」の簡潔な図解説明があります。
以上のように、
財前氏は、筆順に関しても柔軟なとらえ方を持つ必要がある、と解説されています。
なお、
『手書きのための漢字字典』には、
漢字の「基本的筆順」が、すべてに示されていて便利ですよ。
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教育新聞
2009年6月11日
◇◇◇
明治書院のホームページ上で、
「字体のはなし」という連載もされています。全6回です。
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第2版
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「手紙(便箋)の書き方」 和玄メモ
◇◇◇
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「花」は隷書では本来「芲」の形がベターですが、
現実の一般的な文字生活と、
はんことしての実用性・言葉のイメージを考慮し、
はんこのような字体にしています。
あらかじめご了承ください。
(上段右から三つ目の「花見月」のことです)
お店のメニューなどにもグッド。
和玄堂「月の異称篆ゴム印セット」は特製桐箱入り。
篆ゴム印の「和玄堂」
- 2009.05.28 Thursday
- 書画メモ
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- by 手作り住所印のお店「寧洛菴」中谷和玄