◇◇◇
「」和玄メモ
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「」和玄メモ
「」和玄メモ
「」和玄メモ
「」和玄メモ
↑
北大路魯山人(きたおおじろさんじん)書・刻の木額
元祖 御水引老舗
(*右から読みます)
京都市上京区
↑
落款部分拡大
「戊午孟春為源田善右衛門君魯卿山人作[印【北大路氏】【大観】]」
北大路魯山人作のこの大看板(幅約5メートル・材ケヤキ)は、
京都市上京区中立売通堀川東入る南側に建つ
老舗「源田紙業株式会社」のビルに
ド〜ンと掲げられています(濡額)。
魯山人がこの木額を刻したのは
戊午(この場合は1918年〔大正7年〕にあたります)孟春(一月)。
魯山人35歳。
電車で行くなら、
京都市営地下鉄烏丸線「今出川駅」から歩いて20分以内です。
源田紙業は771年創業(゚ロ゚)。
日本最古の和菓子屋さん「一文字屋和助〔京都市北区〕」(1000年創業)よりも
200年以上も古いことになります。
↑
北大路魯山人
きたおおじ‐ろさんじん【北大路魯山人】
陶芸家。本名、房次郎。京都生れ。
はじめ書・篆刻で名をなし、のち料理・食器の研究にあたる。
北鎌倉に窯を築き多彩な陶磁器を製作。(1883〜1959)
広辞苑
↑
拝啓 魯山人先生・・・
炊飯器の広告
↑
すき焼きを料理する魯山人
*これらの庭園写真と魯山人は、関係がありません。。
◇◇◇
(↓会津八一[あいづやいち]書)
↑
こちらは、
東京日本橋の古美術店・壷中居(こちゅうきょ)の木額
「壷中居 秋艸道人」(62×187センチ)
会津八一書(昭和6年の夏)
この看板↑が店の軒にあがったあと、
魯山人がたまたま店にやってきました。
しばらく見上げ、
ウームと唸って立ち去ったということです。
後日店に来た会津八一に、
番頭がその時の様子を伝えました。
その時八一は眼を細め、
一言「ホウ」といって
黙っていたということです。
会津八一は昭和31年11月21日逝去、
北大路魯山人は昭和34年12月21日逝去。
二人とも76歳でした。
↑
東京日本橋「壺中居美術店」
*木額は店内
↑
会津八一と歌碑(奈良)
あいづ‐やいち【会津八一】
歌人・書家・美術史家。
秋艸(しゅうそう)道人と号す。
新潟県生れ。早大卒。
万葉風を近代化した独自の歌風を確立。
歌集「鹿鳴集」、書跡集「遊神帖」など。
(1881〜1956)
同
↑
会津八一
◇◇◇
篆刻印の話に変わりますが、
↑
篆刻印印影・約12ミリ角 「潤一郎」
私は谷崎潤一郎のこの印↑はけっこう好きで、
(「郎」左下部の処理の仕方に何ともいえない魅力があります)
この印影を机の横に貼付けて時々眺めています。
刻者は魯山人です。
以前、谷崎展に、谷崎が用いていた印が二顆展示されていて、
その小さな印面をガラス越しに凝視したのですが(単眼鏡で)、
そのとき、
上↑の印の刻者は魯山人、
ということがわかりました。
展覧会でその印を見るまでは
上の印影の印は、
誰が刻したものなのかわかりませんでした。
下↓の画像が印本体です。
印影は展示されていませんでしたが、
印影は家でときどき眺めていましたので、
印面をみたときに、
すぐに
「あっ、あの印はまさにこれだ」とわかりました。
↓図録より
↑
北大路魯山人刻谷崎潤一郎所用印
1919年(大正8年)刻
魯山人36歳
このとき谷崎は33歳
印影再掲載
↓
↑
第一高等学校校友会雑誌委員の新旧交替記念
明治41年5月
前列左より2番目谷崎潤一郎(22歳) 前列中央・新渡戸稲造校長(46歳)
↓拡大
↑
山形の地方新聞社への就職を決めたときの記念写真。
前列中央・潤一郎
明治43年
でも、実際には行かなかった・・・
にとべ‐いなぞう【新渡戸稲造】
思想家・教育家。南部藩士の子。
札幌農学校卒業後、
アメリカ・ドイツに留学。
京大教授・一高校長などを歴任。
国際平和を主張し、
国際連盟事務局次長・
太平洋問題調査会理事長として活躍。
カナダで病没。
英文の「武士道」ほか
「農業本論」などを著す。
(1862〜1933)
同
たにざき‐じゅんいちろう【谷崎潤一郎】
小説家・劇作家。東京生れ。東大中退。第2次「新思潮」同人。
「刺青(しせい)」「少年」など、
耽美と背徳の空想的な世界を華麗に描いたが、
大正後期から日本的な伝統美に傾倒し、
王朝文学の息吹きを現代に生かした新しい境地を拓いた。
作「蓼喰ふ虫」「春琴抄」「細雪」
「少将滋幹の母」など。文化勲章。(1886〜1965)
同
↑
谷崎潤一郎
↑
谷崎潤一郎
↑
谷崎潤一郎の御両親(倉五郎と関)
明治20年頃
◇◇◇
「北大路魯山人生誕地 京都」和玄メモ
「八百三(やをさん)の柚味噌(ゆうみそ) 京都」和玄メモ
「聘珍樓(へいちんろう)の肉まん・あんまん」和玄メモ
◇◇◇
「文人愛用味わい住所印ギャラリー・26――小説家・劇作家・評論家 坪内逍遥」和玄メモ
京都国立近代美術館 2015年6月19日〜8月16日
「ユネスコ無形文化遺産登録記念 北大路魯山人の美 和食の天才」
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法華寺本尊十一面観音
ふぢはら の おほき きさき を うつしみ に
あひみる ごとく あかき くちびる
法華寺本尊十一面観音
観音のおもはゆげにも垂れこめしとばりにせまる旅衣かな
法輪寺にて
みとらし の はちす に のこる あせいろ の
みどり な ふき そ こがらし の かぜ
奈良博物館にて
くわんおん の しろき ひたひ に やうらく の
かげ うごかして かぜ わたる みゆ
戒壇院をいでて
びるばくしや まゆね よせたる まなざし を
まなこ に み つつ あき の の を ゆく
東大寺戒壇院には、
この院の名をして天下に重かしめるほどの、
傑作の四天王があつて、
我が天平藝術の最高水準を示すものと、
普く認められて居る。
その中でも、この廣目天は、
何事か眉をひそめて、
細目に見つめた眼(まな)ざしの深さに、
不思議な力があつて、
私はいつもうす暗いあの戒壇の上に立つて、
此の目と睨み合ひながら、
ひとりつくづくと身に沁み渡るものを覺える。
まことに忘れられぬ目である。
やがて此の堂を出て、春日野の方へ足を向けても、
やはり私の目の前には此の目がある。
何處までもついて離れぬ目である。私はこれを歌にした。
この歌を詠んで、どれほどになるか、
もう久しいものであるが、
その後になつて、一つ妙なことが起つて來た。
五六年も前に、ある時、東大寺からの歸りがけに、
飛鳥園の店へ立ち寄ると、
主人の小川君は、あの特色のある笑を湛へながら、
つくづくと私の顔を見て、
どうもあなたは、
だんだん戒壇院の廣目天そつくりの目に
なつて來られましたといふ。
そして鏡まで持ち出して來て、
ていねいにも寫眞と並べて見せてくれたものだ。
法華寺温室懐古
ししむら は ほね も あらはに とろろぎて
ながるる うみ を すひ に けらし も
からふろ の ゆげ たち まよふ ゆか の うへ に
うみ に あきたる あかき くちびる
からふろ の ゆげ の おぼろ に ししむら を
ひと に すはせし ほとけ あやし も
◇◇◇
◇◇◇
◇◇◇
動物写真家・岩合光昭氏(いわごうみつあき)の写真展「ねこ歩き」(2015.3.25〜2015.4.6)開催記念として、
大丸ミュージアム(大丸京都店6階)の入口横に、
ねこちゃん写真を自由に貼り付けるコーナーが設けられていました。
ねこちゃん写真を、下↓に少しピックアップしてみました。
◇◇◇
◇◇◇
↑
京都「大本山相国寺」で出会ったネコちゃん
↑
京都「パパジョンズ」(本店は相国寺のすぐ近く【烏丸通上立売東入る】)の
チーズケーキ(上・ニューヨークチーズケーキ/下・スイートポテトチーズケーキ)
↓
↑同・チョコニューヨークチーズケーキ
↑同・カフェマーブルチーズケーキ
◇◇◇
◇◇◇
↑書家・熊谷恒子(くまがいつねこ、1893〜1986)氏
↑熊谷恒子筆
たけくらべ(樋口一葉)部分
ひぐち‐いちよう【樋口一葉】
小説家。本名、奈津。東京生れ。和歌を中島歌子に学び、小説は半井(なからい)桃水に師事、のちに「文学界」同人と親交。小説「たけくらべ」「にごりえ」「十三夜」などのほか、文学性高い多くの日記を残した。(1872〜1896)広辞苑
たけくらべ
樋口一葉作の短編小説。1895〜96年(明治28〜29)「文学界」に発表。吉原遊廓の裏手に住んだ作者の見聞に取材。吉原のお職大巻の妹、美登利が、竜華寺の信如少年に抱く淡い思慕を軸に、子供たちの世界を雅文調で流麗に描く。広辞苑
↑同 部分
↑
熊谷恒子筆
ともしびの明石大門にいらむ日やこぎわかれなむいへのあたり見ず
柿本人麿
かきのもと‐の‐ひとまろ【柿本人麻呂】
万葉歌人。三十六歌仙の一人。天武・持統・文武朝に仕え、六位以下で舎人として出仕、石見国の役人にもなり讃岐国などへも往復、旅先(石見国か)で没。序詞・枕詞・押韻などを駆使、想・詞豊かに、長歌を中心とする沈痛・荘重、格調高い作風において集中第一の抒情歌人。後世、山部赤人とともに歌聖と称された。「人丸」と書いて「ひとまる」ともいう。生没年未詳。広辞苑
◇◇◇
↑愛猫に京都村上開新堂のお菓子をあげる谷崎潤一郎
たにざき‐じゅんいちろう【谷崎潤一郎】
小説家・劇作家。東京生れ。東大中退。第2次「新思潮」同人。「刺青(しせい)」「少年」など、耽美と背徳の空想的な世界を華麗に描いたが、大正後期から日本的な伝統美に傾倒し、王朝文学の息吹きを現代に生かした新しい境地を拓いた。作「蓼喰ふ虫」「春琴抄」「細雪」「少将滋幹の母」など。文化勲章。(1886〜1965)
広辞苑
◇◇◇
↑えっ、、、タヌキ??
野良犬「えっ、ペット専用なの? オレってRUNしたらダメなんだ・・・ ちぇっ」
というより、人間は走ってはいけない、ということかな・・・
◇◇◇
↑熊谷守一画「牝猫」 1959年 油彩・板
くまがい‐もりかず【熊谷守一】
洋画家。岐阜県生れ。東京美術学校卒。フォーヴィスムを経て、簡潔な形態と色彩による画風を示す。作「蠟燭」「陽の死んだ日」など。(1880〜1977)広辞苑
◇◇◇
ねこ【猫】
(鳴き声に接尾語コを添えた語。またネは鼠の意とも)
(1)広くはネコ目(食肉類)ネコ科の哺乳類のうち
小形のものの総称。
体はしなやかで、鞘に引きこむことのできる爪、
ざらざらした舌、鋭い感覚のひげ、
足うらの肉球などが特徴。
一般には家畜のネコをいう。
エジプト時代から鼠害対策として
リビアネコ(ヨーロッパヤマネコ)を飼育、
家畜化したとされ、
当時神聖視された。
現在では愛玩用。
在来種の和ネコは、
奈良時代に中国から渡来したとされる。
古称、ねこま。
枕草子(9)「―を御ふところに入れさせ給ひて」
広辞苑
◇◇◇
◇◇◇
↑まる
◇◇◇
*カエル関連グッズその他
↓
「SUZURI(スズリ)」の、
【Tシャツ・トートバッグ・マグカップ・スマートフォンケース・
ベイビーロンパース・ベイビービブのページへ】
◇◇◇
]]>
「明治天皇生誕の地」は
京都御苑内にあります。
↑「中山邸跡(なかやまていあと)」「祐井(さちのい)」
幕末期の公家権大納言(ごんだいなごん)
中山忠能(なかやまただやす)の邸跡で、
その娘権典侍(ごんのてんじ)慶子(よしこ)を
母として1852(嘉永5)年、
祐宮(さちのみや、後の明治天皇)が
誕生しました。
敷地内には
そのうぶ屋が遺っています。
祐宮は
ここで
4年間
養育されたといわれています。
敷地内の井戸は、
祐宮2才の夏、
干天で井戸が枯れたため、
新たに掘られたものといい、
その名に因んで祐井(さちのい)と
名づけられたといいます。
めいじ‐せつ【明治節】
旧制の四大節の一つ。11月3日。
明治天皇の誕生日(旧暦では9月22日)で、
1927年(昭和2)制定、48年廃止。
今、この日は
国民の祝日の「文化の日」で
意義を異にする。広辞苑
↑祐井(さちのい) 京都御苑三名水
↑
○部分が中山邸跡(明治天皇生誕の地)・
祐井(さちのい・京都御苑三名水)
めいじ‐てんのう【明治天皇】
近代の天皇。名は睦仁(むつひと)。
幼名、祐宮(さちのみや)。
孝明天皇の第2皇子。
生母は中山慶子(よしこ)。
慶応3年(1867)1月9日践祚(せんそ)。
同年12月天皇の名により王政復古の大号令を出す。
翌年「五カ条の誓文」を宣布、明治と改元。
江戸を東京と改めて遷都。
その治政下に、
廃藩置県・憲法発布・議会召集・
教育勅語発布など万般の新制が定められ、
近代化が進められた。
また、
台湾出兵・日清戦争・
日露戦争・韓国併合などの対外膨張も行われた。
和歌をよくした。
陵墓は伏見桃山陵。
(在位1867〜1912)
(1852〜1912)
広辞苑
↑ V字の松 (^_^)v
◇◇◇
↑
京都三名水(醒ヶ井・県井・染井)のうち
現存する唯一の名水
「染井の水[井戸水](京都梨木神社境内・京都御苑東隣)」
↑
萩の宮・梨木神社(なしのきじんじゃ)
なしのき‐じんじゃ【梨木神社】
京都市上京区にある元別格官幣社。
祭神は三条実万(さねつむ)・三条実美(さねとみ)。
1885年(明治18)創建。同
◇◇◇
↑
孝明天皇・明治天皇 侍講
「中沼了三(なかぬまりょうぞう、1816―1896)先生講書之所」
京都市・烏丸通夷川下る東側
京都市営地下鉄烏丸線丸太町駅徒歩一分
じ‐こう【侍講】
(1)[後漢書(孝和帝紀)]君徳の養成・啓発のために、天皇や皇太子に講義すること。また、それを職とする官。
(2)東宮職の進講をつかさどる職員。現在は廃止。
同
じ‐どく【侍読】
(ジトウとも)天皇・東宮に侍して学問を教授する学者の称。経書・史書を進講した。後世は侍講という。
同
しょう‐ふく【尚復】
(「尚」は「つかさどる」の意)平安時代以後、天皇や東宮の読書始めの式に、侍読(じどく)が教授した箇所の復唱などをつかさどる補佐役。
同
◇◇◇
↑明治神宮奉賛会発行郵便はがき
明治16年7月19日、
明治天皇岩倉(具視)邸行幸(病床の岩倉具視をお見舞いになる明治天皇)
北蓮藏筆
めいじ‐じんぐう【明治神宮】
東京都渋谷区代々木にある元官幣大社。
祭神は明治天皇・昭憲皇太后。
境内(内苑)は約22万坪。
1915年(大正4)起工、20年竣成。
例祭は11月3日。
同
いわくら‐ともみ【岩倉具視】
幕末・明治前期の公家・政治家。京都生れ。
もと堀河氏、のち岩倉氏の養子。公武合体に努めるが、
のち討幕運動の宮廷における中心。
維新後、政府の中枢。
条約改正準備のため使節団を率い米欧を回る。
(1825〜1883)
同
◇◇◇
↑
1881年8月、
明治天皇は札幌市内の行幸において、
「開拓使麦酒醸造所」を御訪問。
明治天皇が醸造所内を一回りされたのち、
醸造所は明治天皇にビールを献上したそうです(左端のビール)。
すると明治天皇はおかわりを御所望なさいました。
その創業当時の製法をできるだけ忠実に復元したビールは、
「復刻札幌製麦酒」として、現在もごく少量つくられています。
その「復刻札幌製麦酒」は、
札幌市の「サッポロビール博物館」(見学無料)の
「プレミアムツアー」参加者のみ味わうことができますよ。
(プレミアムツアーの参加料金は大人500円(ツアースタート時間の10分前までに受付を済ませる必要があります)/
ワイドシアターでの映像視聴とブランドコミュニケーターによる解説を聴くことができます/
最後にビール二杯つき)
そのときは、「サッポロ生ビール黒ラベル」(時期によって銘柄が異なる場合があり)も供されますので、
じっくりと飲み比べることができます。
ただ、博物館内のスターホール(テイスティング)では、
プレミアムツアーに参加しなくても、
「〈北海道限定〉サッポロ クラシック」(200円)や
開拓使麦酒ピルスナー(300円)、
「サッポロ生ビール黒ラベル」(200円)などを楽しむことができます。
プレミアムツアー参加者は、先程の二杯を味わったあと、
自由席の方に移って、もう二杯三杯と楽しむ感じです。
何杯も飲みたくなる雰囲気です。
ビール【bier(オランダ)・麦酒】
醸造酒の一つ。麦芽を粉砕して穀類・水とともに加熱し、
糖化した汁にホップを加えて苦味と芳香とをつけ、
これに酵母を加え発酵させて造る。
発酵過程で生ずる炭酸ガスを含む。
ビヤ。[季]夏。蘭説弁惑「びいるとて麦にて造りたる酒あり」。
国木田独歩、夫婦「若代は自身で―の壜を提げ女中にコツプなどを持たして来たので」
同
ばく‐が【麦芽】
大麦を発芽させたもの。多量のアミラーゼを含み、
ビール・ウィスキー・水飴の製造に用いる。モルト。同
ホップ【hop(オランダ)・忽布】(植物)
クワ科の蔓性多年草。雌雄異株。北半球の温帯に広く自生し、
日本に自生するカラハナソウとは同種とされる。楕円形松毬状の果実を結ぶ。
子房や包葉に生じる黄粉(ホップ腺)に芳香と苦味があり、
ビールに香味をつけるのに用いる。同
こう‐ぼ【酵母】
出芽によって繁殖する円形もしくは楕円形の微細な単細胞の菌類の総称。
アルコール発酵を営む子囊菌類のサッカロミセスが主体で、
ほかに担子菌類・不完全菌類に属するものがある。
酒の醸造やパン製造に欠かせない。イースト。同
じょう‐ぞう【醸造】
発酵作用を応用して、
酒類・醬油・味噌・味醂(みりん)などをつくること。
醸成。「酒を―する」同
↑麦芽とホップ
↑
「サッポロビール博物館」
(北海道札幌市東区北7条東9丁目サッポロガーデンパーク内)
1890年に建設されたこの建物は元は製麦所として60年間稼働。
↑
左「復刻札幌製麦酒」(低い方のグラス)(※プレミアムツアー参加者のみ味わうことができます)
右「サッポロ生ビール黒ラベル」
↑ビール瓶型の電灯
↑博物館内のスターホール(テイスティング)
↑プレミアムツアー
↑同
↑
おいしいサッポロビールの注ぎ方「三度注ぎ」
プレミアムツアー参加者はその実演を見ることができます。
↑
麦とホップを製すればビイルとゆふ酒になる
(サッポロビール博物館の向かって左側)
↑「サッポロビール博物館」
↑
サッポロビール園開拓使館(「サッポロビール博物館」の隣)の
ジンギスカンホール「ケッセルホール」
厳選ラム肉使用で美味
↑ラム肩ロースジンギスカン
↑生ラムジンギスカン
↑JRタワー展望室よりサッポロガーデンパーク(矢印の部分)を望む
*「サッポロビール博物館」は、サッポロガーデンパーク内にあります。
↑「札幌開拓使麦酒醸造所」
「サッポロファクトリー」(大型複合商業施設・札幌市中央区北2条東4丁目)内にあります。
このサッポロファクトリーは、
日本人の手による国内初のビール工場が誕生(1876年)した場所に
建てられた商業施設ということになります。
上のレンガの建物は、隣の大きな煙突とともに大正時代につくられました。
サッポロビール博物館からサッポロファクトリーへは徒歩約15分です。
かいたく‐し【開拓使】
北海道および樺太などの行政・開拓をつかさどった官庁。
1869年(明治2)創設、82年廃止。同
↑サッポロファクトリー・巨大アトリウム
↑シンガーソングライター・爽(さわ)さんのライブ
(於サッポロファクトリー・アトリウム)
◆「爽「帚星」MUSIC VIDEO」◆
◆「爽 First Album 「HAKU」2015/8/5 Release (03#揺るぎない[CM]」◆
*「揺るぎない」は、かなりの名曲だと思います。
◆「爽【COLONY生放送#98】(2015.1.27放送)〈揺るぎない〉」◆
◆「爽【COLONY生放送#98】(2015.1.27放送)〈再起動〉」◆
◆「爽1st Album「HAKU」Digest Movie [全曲試聴]」◆
◆◆「HAKU CD」◆◆
◆◆「札幌在住のシンガーソングライター・爽(さわ)さんの公式WEBサイト」◆◆
↑JRタワー展望室よりサッポロファクトリー(矢印の部分)を望む
↑JRタワー展望室より北方向を望む
↑JRタワー展望室より北海道大学を望む
↑北海道大学のポプラ並木
↑「株式会社きのとや」の「札幌農学校」(北海道ミルククッキー)
(北海道大学認定/売上の一部を北海道大学の教育支援に活用)
札幌農学校は北海道大学の前身
↑JR札幌駅
↑石屋製菓の「美冬(みふゆ)」と「白い恋人」
↑北海道庁旧本庁舎(赤れんが庁舎)
◇◇◇
……
今日頻りに彼等は、
日本の民主化を唱えているが、
果して
心からかく信じているのであるか。
また一切の武力を持たぬ
無腰無刀の国家として、
世界の文化に貢献するなどという事を、
盛んに唱えているが、
果して真面目にかく信じているか。
武力を除外して、文化のみにて、
世界に立つ事が出来得るものであるか。
少しく歴史的事実に徴して見ても、
それは明白である。
ギリシャの文化は、
泰西文化の根源といわれているが、
ギリシャは果して無腰無刀、
赤手空拳の国民であったか。
スパルタが徹頭徹尾武国であった事は、
いうまでもない。
ギリシャの文化の眼目といわれたる
アテネ如きも、
決して武を除外したる国ではなかった。
テミストクレスより
ペリクレスに至るまで、
何れもその武勲は
赫々たるものであった。
支那に於ても、
その文化の最も発達したる時代は、
漢と唐であるが、
漢と唐は支那に於て、
その武力の最も発展したる
時代であった。
武力を除外したる
文化国というものが、
果して出来得べしとすれば、
それは今後に於ける、
新たなる試験というの
外はあるまい。
ここ迄には世界の歴史に、
左様な例は、
絶対に無かったということが
出来る。
しかるにかかる事を、
平気で、
朝飯前の仕事の如く、
言い做している
日本の有識階級は、
実に驚き入たる胆玉の持主と
いわねばならぬ。
これは大胆でもなければ、
豪胆でもない。
全く彼等の軽佻浮薄の浮動性が、
彼等を駆りて、
ここに到らしめたるものというの
外はあるまい。
昨日までは現津神として、
君主に対して、上奏するさえも、
不敬などといい、
忠諫などは、
全く臣道実践の敵であるかの如く
いい做したる彼等が、
今日では、
平気で皇室制度の改正などという事を
いっているは、
我等が全く了解出来ない点であるが、
しかしこの了解出来ない点が、
平気で世の中に行われ、
何人もこれに向って、
疑問さえ挟む者これ無きは、
これ亦た実に驚き入たる
現象といわねばならぬ。
日本の皇室は、
いわばサムソンの髪毛である。
その毛髪がある間は、
天下無敵の大力者であったが、
髪を剪られた後は、
その神通自在力を失うた。
若し日本に皇室が存在を絶ち、
存在しても、
絶った同様の位地に立たしめ
給うような事が、
あったとしたならば、
日本は支那と択ぶ所なく、
朝鮮と択ぶ所なく、
ソ聯と択ぶ所なく、
米英と択ぶ所なきは当然である。
彼等は本来
皇室を持たぬものであるから、
持たぬからとて、
彼等は髪毛一本損をしたのではない。
しかるに我れは世界無比の
皇室を持って居り、
それが為めに
ここ迄の日本であったが、
それを失うた日に於ては、
彼等は何も失うた事は無く、
我はその自己存在の一大理由、
即ち日本精神の
一大淵源を失うた
事になるから、
その損失の多大である事は、
判りきった事である。
即今米国が、
若しくはその他の聯合国が、
ややもすれば
我が皇室制度に手を着けんとするは、
日本の急所が爰(ここ)に在ることを
知つている為めである。
それ程迄に皇室は、
日本にとっては重大なるものである。
しかるに現在の日本人が、
それを打忘れ、
鸚鵡返しに、
日本民主化のみを高調するが如きは、
余りにも浅薄なる考えであると
いわねばならぬ。
(中略)
近き例を挙ぐるが、
若し日本から
皇室を取り除けたとしたら、
陸海軍の所謂る特攻隊の如きは、
今後決して出で来るべき
見込はあるまい。
我が将官連中には、
如何がわしい者もあり、
また軍の中堅所には、
甚だ不感服の徒輩も
少なくなかったが、
その中で陸海軍の光となったのは、
この特攻隊である。
しかも彼等は、
何が為めに、
青春妙齢の花盛かりを、
欣然として死に赴いたかというに、
それはただ
大元帥陛下の御為めという
一点であった。
「天皇陛下万歳」が、
彼等にとっては、
生命の糧といわんよりも、
生命そのものであった。
しかるに彼等から、
天皇陛下を取り去る時に於ては、
彼等も亦た人間である、
命の惜いことは当り前だ。
今後は彼等の前に、
何人が頓首百拝しても、
若くは如何なる鞭撻を、
彼等に加えても、
美酒や美人を御馳走しても、
断じて彼等の心を動かすことは
出来まい。
日本から皇室を取り去れば、
全く仏から魂を抜いたと
同様なものである。
その事を知らずして、
今更ら事珍らしく、
民主的国家の新造などを、
目論むという事は、
浮薄性もここに至って極まれりと
いわねばならぬ。
(昭和二十年十月十日午前、双宜荘にて)
◇◇◇
「清荒神清澄寺【鉄斎美術館】 兵庫県宝塚市」和玄メモ
「幽玄翁の思い出12【明治人】」和玄メモ
「戦時中の小学校習字教科書(明治時代のものも最後に少々)」和玄メモ
「考えないところを残す」和玄メモ
「書のオブジェ化」和玄メモ
「書の調べ」和玄メモ
「求心と遠心」和玄メモ
「均整と均衡」和玄メモ
「文人愛用味わい住所印ギャラリー・18 歌人・書家・美術史家 会津八一」和玄メモ
「余白」和玄メモ
「立体的な書線」和玄メモ
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天才三島由紀夫
みしま‐ゆきお【三島由紀夫】
小説家・劇作家。本名、平岡公威(きみたけ)。
東京生れ。東大卒。
20世紀西欧文学の文体と方法に学んで、
秩序と神話を志向、純粋日本原理を模索して自裁。
作「仮面の告白」「金閣寺」「豊饒の海」など。
(1925〜1970)同
じえい‐たい【自衛隊】
日本の安全を保つための、直接および間接の侵略に対する防衛組織。
内閣総理大臣が最高指揮権を有し、防衛省が管理・運営する。
陸上・海上・航空の各自衛隊から成る。
1954年(昭和29)防衛庁設置法により、
保安隊(警察予備隊の後身)・警備隊(海上警備隊の後身)を改組したもの。同
こくみん‐せいしん【国民精神】
(1)その国民に共通するとされる固有の精神。
(2)国家のために自己を犠牲にして尽くす国民の精神。
1937〜40年、日中戦争下の民衆動員のため近衛内閣は日本精神の高揚を唱えて
国民精神総動員運動を推進。同
でん‐とう【伝統】
ある民族や社会・団体が長い歴史を通じて培い、
伝えて来た信仰・風習・制度・思想・学問・芸術など。
特にそれらの中心をなす精神的在り方。
「―を受け継ぐ」「―のある学校」同
ごつごう‐しゅぎ【御都合主義】
定見をもたず、そのときどきの都合によって行動する仕方を、さげすんでいう語。同
こく‐ぐん【国軍】
(1)国家の軍隊。
(2)自分の国の軍隊。同
ほん‐ぎ【本義】
本来の意義。正しい意味。根本をなす、大切な意義。同
けい‐さつ【警察】
(police)
(1)社会公共の安全・秩序に対する障害を除去するため、
国家権力をもって国民に命令し、強制する作用。
また、その行政機関。行政警察。
(2)警察法所定の普通にいう警察は、国民の生命・身体・財産の保護、
犯罪の予防・鎮圧・捜査、被疑者の逮捕、公安の維持を任務とし、
行政警察作用のほか司法警察作用をも所掌する。
旧制では中央集権的な官僚組織であったが、
1947年の警察法により国家地方警察・自治体警察の二系統に分かち、
公安委員会制を採り、地方分権的・民主的に改めた。
54年警察法改正により、自治体警察を廃し、
国家警察と都道府県警察との組織に改めたが、
中央集権的な色彩が濃い。→行政警察 →司法警察。
(3)警察署・警察官の略。同
けんぽう‐かいせい【憲法改正】
憲法を改めること。日本では、国会両議院の総議員の3分の2以上の賛成により国会が発議し、
国民投票によって過半数の賛成を得て国民が承認することにより成立(日本国憲法第96条)。同
ぎ‐かい【議会】
公選された議員によって組織され、国民・住民の代表者として
事案の審議・決定を行う合議制の機関。
国会・都道府県議会・市町村議会など。同
ちあん‐しゅつどう【治安出動】
警察力をもってしては対処できないような緊急事態が発生した場合、
内閣総理大臣の命令に基づいて自衛隊が治安維持のために出動すること。
都道府県知事の要請により内閣総理大臣が出動を命ずる場合もある。同
こく‐たい【国体】
(1)[漢書(成帝紀)「通達国体」]国家の状態。くにがら。くにぶり。
(2)[漢書(王莽伝上)「以明国体」]
国家の体面。国の体裁。折たく柴の記(中)「―にしかるべからず」
(3)主権または統治権の所在により区別した国家体制。「―の護持」
(4)国民体育大会の略称。同
せい‐たい【政体】
(1)国家の組織形態。君主制・共和制など。
(2)統治権の運用形式。立憲政体と専制政体とに分けられる。
統治権の所在を示す国体と区別する。
(3)法令用語としては、立憲主義的国家体制の意。同
てん‐のう【天皇】
(1)皇帝・天子の敬称。
(2)明治憲法では、大日本帝国の元首。
日本国憲法では、日本国および日本国民統合の象徴とされ、
国家的儀礼としての国事行為のみを行い、国政に関する権能は持たない。
男系の男子がこの地位を継承する。
古くは「すめらみこと」「すめろき」「すべらぎ」などと呼んだ。同
さ‐は【左派】
左翼の党派。また、政党などの内部で革新的な立場をとる派。⇔右派
同
う‐は【右派】
右翼の党派。また、政党などの内部における保守派。⇔左派
同
しせい‐し【私生子】
(1)庶子に対して、父の知れない子の称。ててなしご。
(2)〔法〕正式の婚姻関係でない男女の間に生まれた子を、
その母に対していう語。
父の認知を得れば父の庶子となる。
1942年以後、民法はこの語を避け、
非嫡出子(ひちゃくしゅつし)または嫡出に非ざる子と改称。
現行民法では「嫡出でない子」という。私生児。同
ぎゃく‐せつ【逆説】
(paradox)
(1)衆人の受容している通説、一般に真理と認められるものに反する説。
「貧しき者は幸いである」の類。
また、真理に反対しているようであるが、よく吟味すれば真理である説。
「急がば回れ」「負けるが勝ち」の類。パラドックス。
(2)外見上、同時に真でありかつ偽である命題。同
シビリアン‐コントロール【civilian control】
軍隊の指揮権が文民によって統制されること。また、政治の軍事に対する優位を定めた制度。
軍部の政治への介入や独走を抑止するためのもの。文民統制。同
みんしゅ‐しゅぎ【民主主義】
(democracy)
語源はギリシア語の demokratia で、
demos(人民)と kratia(権力)とを結合したもの。
権力は人民に由来し、権力を人民が行使するという考えとその政治形態。
古代ギリシアの都市国家に行われたものを初めとし、
近世に至って市民革命を起こした欧米諸国に勃興。
基本的人権・自由権・平等権
あるいは多数決原理・法治主義などがその主たる属性であり、
また、その実現が要請される。
山路愛山、社会主義管見「第一の要件は―を土台にした政府を作ることである」
同
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*カエル関連グッズその他
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「SUZURI(スズリ)」の、
【 】
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昔より
名にはきけども
今日みれば
むべめかれせぬ(なるほど、なかなか目が離せない)
糸さくらかな
孝明天皇
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北野天満宮の梅はただいま見頃です。
きたの‐てんまんぐう【北野天満宮】
京都市上京区馬喰町にある元官幣中社。主祭神は菅原道真。10世紀中頃の創建。例祭8月4日(11世紀半ばまでは5日)。八棟造(やつむねづくり)の現社殿は、慶長年中、豊臣秀頼の造営で、最古の権現造。二十二社の一つ。北野天神。北野神社。
広辞苑より
↑北野天満宮 神牛像
↑北野天満宮
↑
北野名物「長五郎餅」
北野天満宮境内
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和玄メモ
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「清荒神清澄寺【鉄斎美術館】 兵庫県宝塚市」和玄メモ
「幽玄翁の思い出12【明治人】」和玄メモ
「戦時中の小学校習字教科書(明治時代のものも最後に少々)」和玄メモ
「考えないところを残す」和玄メモ
「書のオブジェ化」和玄メモ
「書の調べ」和玄メモ
「求心と遠心」和玄メモ
「均整と均衡」和玄メモ
「文人愛用味わい住所印ギャラリー・18 歌人・書家・美術史家 会津八一」和玄メモ
「余白」和玄メモ
「立体的な書線」和玄メモ
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「京とうふ藤野本店」
京都北野天満宮「一の鳥居」より西へ徒歩約1分
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藤野の豆乳ソフトクリーム
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豆乳
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京の豆乳八つ橋
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乾燥おから
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乾燥おからレシピいろいろ
↑おはぎ豆フ↓
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「粟(あわ)餅所・澤屋(さわや)」
(京都北野天満宮「一の鳥居」より西へ徒歩約1分)
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「粟餅所・澤屋(さわや)」の粟餅(あわもち)“白梅”
(600円・お茶つき/※抹茶の場合は+300円)
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「粟餅所・澤屋(さわや)」の粟餅(あわもち)“紅梅”
(450円・お茶つき/※抹茶の場合は+300円)
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お持ち帰りの場合は10個入り〜
(※消費期限は当日)
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北野天満宮の「一の鳥居」
粟餅「澤屋」さんはココから左へ徒歩すぐ
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ポルトガル菓子&カフェ「カステラ ド パウロ」(北野天満宮一の鳥居横)
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ポルトガル菓子&カフェ「カステラ ド パウロ」の
「ドゥシェーズシュ」
(鶏卵そうめんを飾り付けたシュークリーム[カスタードクリームと生クリーム])
〈*鶏卵そうめんはポルトガルの伝統菓子。約500年前、日本に伝来〉
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