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聘珍樓(へいちんろう)の肉まん・あんまん
お店には行ったことがありませんが、一度「聘珍樓」の点心が食べてみたくなって、通販で注文してみました。けっこう満足できました





↑聘珍樓(へいちんろう)の肉まん・あんまん















↑餃子










↑杏仁豆腐
熱湯と牛乳で作る













↑黒胡麻あんまん





↑豆沙夾餅







長い余談ですが、中華料理に関して、『隨園食單』(隨園料理メモ)という古い書物があります。


『隨園食單』は、中国清時代の詩人・袁枚(えんばい、1716〜1797、字・子才、号・簡齋)の著作で、袁枚の居宅の名が「隨園」といったので、このような表題になっています。袁枚は世人から「隨園先生」とも呼ばれていたようです。


中国文学者・青木正兒(あおきまさる、1887〜1964、号迷陽)は、中国の食文化にもかなり詳しい人で、『隨園食單』の訳注も手掛けています。「訳注」とは、書物の翻訳をし、さらに随所に註釈を施すことをいいます。





↑青木正兒






『随園食単』は岩波文庫から出ています。『青木正兒全集』(春秋社、昭和46年)では、第8巻に「隨園食單」が入っています。第8巻は他に「中華名物考」と「中華茶書」。





↑『青木正兒全集』全10巻
この全集はスゴイ



さて、袁枚は、24歳のときに進士に及第、江蘇省の役人になりました。役人として数年過ごし、33歳になったとき、彼は南京の荒れた廃園を邸宅として購いました。そこは、康煕年間、織造官・隋氏の別荘として使われていたものでした。「隨園」という名は、その隋氏に因み名づけました。


37歳のとき、彼は官を辞して野に下りました。詩作三昧の生活をし、売文で相当な収入を得て、隨園を年々立派な邸宅に改修していきました。たびたび知友門下を隨園に招き、詩酒の会を盛大に催していたといいます。




↑隨園図
『青木正兒全集』第8巻より




袁枚は食にうるさく、美味しい料理をどこかで食べると、その料理の調理法を詳らかにしなければ気が済まなかったようです。


『隨園食單』の袁枚自序を少し引きます。


 

……さて孔子は人と歌うて、その節が善ければ、必ず繰返させて、而る後それに和して自分も歌った。聖人は小さな芸ごとに於ても、かくの如く善く人から学び取ったのである。私も平素この旨を慕い、いつも誰かの家で御馳走になって来ると、必ず自宅の料理人を彼の家の台所に遣わし、弟子入りして学ばせるようにして、四十年このかた、美味の製法が相当集った。……




美食家・北大路魯山人は自ら料理をしていましたが、この魯山人を、博学な文士にしたら、袁枚のような感じになるのでしょうか。『魯山人の料理王国』という本と、『隨園食單』は何となく似ています。食にうるさそうな感じがそっくりです(笑)。魯山人の舌の厚さは、普通の人の2倍ほどあったそうです。




↑『魯山人の料理王国』(文化出版局)





二書から、「お米」について書かれた文をそれぞれ引いてみます。


まず『隨園食單』の「飯」を引きます。引用は新漢字・新かな遣いに改めます。



 

王莽が云う「塩は百肴の将」と、余は則ち曰わん「飯は百味の本」と。……(中略)……上手に飯を煮(た)くとは、煮いてあっても蒸した如く飯粒が原形のまま分明(はっきり)としており、それでいて口に入れると軟らかであるようにすることである。其の秘訣が四つ有る、一つは米の好いことを要する。或は香稲、或は冬霜、或は晩米(おくて)、或は観音秈(わせ)、或は桃花秈など、之をよくよく舂いて、梅雨の季節には播(ひろ)げて風に当て、黴びて疹(しみ)を出させぬようにすること。一つは善く淘(と)ぐことを要する。米を淘ぐ時手間を惜まず、手でよく揉み擦って、ざるから淋(たら)す水が清く澄んで、白水の色が無くなるまで淘ぐこと。一つは火を用いるに、先に武火(つよび)後に文火(とろび)、暫く煮てから釜をおろす、そこの加減が工合よく行くことを要する。一つには米の分量に応じて水を入れ、多からず少からず、飯の出来が硬からず軟かならざるを要する。貴富の人の家で、菜をやかましく言って飯は一向かまわないのを往々見かけるが、あれは末を逐うて本を忘れた、真に笑うべきことである。
……(中略)……飯の甘さは百味の上に在る。味を知る者は飯さえ好いのが有れば、菜は無くともよいのである。




次に『魯山人の料理王国』から、「お米の話」を引きます。



 

近頃は以前のように、やれ播州の米がうまいとか、越後米に限るとかいうような話はあまり聞かない。ただ米でありさえすれば有難がる御時世ではあるが、しかし以前でも、米の味に詳しいという人は少なかった。
うまい米と言えば、その昔朝鮮で李王さまにあげるために作っていた米がある。これはすこぶるうまかった。収穫は非常に少ないが、米粒の形もよく、見たところもきれいな米であった。ただし、あまりうますぎて、副食物が御馳走の目的の場合には使えない。うますぎるというと変に聞こえるかも知れないが、元来米というものは、うまいものである。うまいものの極致は米なのである。うまいからこそ毎日食べていられるわけなのである。特にうまい米は、もうそれだけで充分で、ほかに何もいらなくなってしまう。
ことに、ライスカレーなんてものに使う米は、少しまずい米でないといけない。たとえば玄米だ。
玄米は白米とは別な意味で非常にうまい。玄米の御飯に御馳走をつけて出すのは蛇足である。漬物でもあれば充分である。だから、いくらうまいといっても、料理の後では邪魔になる。
ところが、一般の家庭はもちろんのこと、多数の料理屋がこの御飯というものについて、とても注意が足りない。……(中略)……
料理をするほどの者が、自信をもって飯が炊けないということは、無茶苦茶な振舞いであり、親切者とは言えないことになる。
それにもかかわらず、料理人は自分の苦労の足りなさを棚に上げて、飯を炊くということは、何か自分の沽券にかかわるものの如く考えているらしい。浅ましい話だが、それでは先生は御飯をお炊きになりますか、と聞く者があった。私は言下に炊けると答えた。
料理人は飯なんてものは、無意識のうちに料理ではないと考えているらしい。ところが、飯は料理の一番大切なものなのである。料理ではないと思うところに根本的に間違いがあり、まずい飯ができるのである。
洋食でパンの良否を問題にしたり、焼き方を問題にしたりするのと全く同じなのである。だから、飯は料理ではないという考えを改め、立派な料理だと考えなければならない。
この意味で、料理人は飯の炊き方に注意しなければならない。私は断言する。飯の炊けない料理人は一流の料理人ではない。主婦、女中、飯炊きについても、同じことが言えるのである。



確かに、料理屋を選ぶ時は、ご飯がおいしいところを選んでしまいます。また、ご飯がおいしかったお店はいつまでもよく覚えているものです。


昔、ある料理屋さんに入り定食を注文したのですが、炊飯器でだいぶ保温したような、黄色くなったご飯を出されたことがありました。おかずはまぁまぁおいしかったのですが、黄色くなったご飯で全てが台なしでした。


料理屋をするとき、ご飯に力を入れれば、高い確率で流行ると思います。「あのお店はご飯がおいしいからまた行こう」と思うことがしばしばあります。







↑『魯山人の料理王国』より




↑ピカソと魯山人  同書より
魯山人はだいぶ長身ですね。










ねいらくあん


 

| 手作り住所印のお店「寧洛菴」中谷和玄 | 07:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
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