奈良「正倉院展」
2007.11.01 Thursday | category:奈良メモ
第59回「正倉院展」が、奈良国立博物館で10月27日から11月12日まで開催されており、1年1度の短期間の楽しみとして見に行ってきました。 出展は70点で、うち17点が初出展でした。
正倉院宝物の誕生は、756年に聖武天皇が亡くなったときに、光明皇后が遺品を東大寺大仏に捧げたことに遡ります。その後正倉は何度か修理され、1940年に皇紀紀元2600年を記念して、東京帝室博物館(現東京国立博物館)において「正倉院展」が開かれたようです。そして6年後の1946年に、奈良帝室博物館(現奈良国立博物館)で第1回正倉院展が始まり今に至ります。
正倉院(国宝)は、現在1棟しか遺っていない木造倉庫です。長い年月合理的に宝物を守ってきた正倉ですが、現在多くの宝物が眠っているところは、1962年に鉄筋コンクリートを用いて建てられた「西宝庫」だそうです。西宝庫も正倉院と同じように、北倉・中倉・南倉に分かれているようです。
年1度の正倉院展は毎年めちゃくちゃ混雑するので、今年は夕方に行ってみましたが、やはり並びました。でも見応えがあるため、いつもワクワクしてしまいます。
書も奈良・平安時代のものを見ると鳥肌が立つ感じを与えられますが、この時代の工芸や絵画を見ていても、その精緻でさわやかな技術にいつも衝撃を受けます。人間の気力や能力が研ぎ澄まされて濁っていなかったんだろうな、と思います。今回和玄は、「仮斑竹箱(げはんちくのはこ)」という、人工的に斑点を付けた竹を薄く削り、それを周りに施してある墨の箱が気に入りました。要所に柿の木が使われていて洒落てました。
書では、素朴でいて力強い唐経に単眼鏡で見入りました。書にもホントに多くの老若男女がくぎづけになっていました。こんな光景、今の大きな公募書展で見ることができません。ホントに多くの方が「わぁーすごい」とか「わぁー信じられない技術や」とか「上品ねぇー」といった純粋な感想をつぶやかれていました。現代の大字書による見せる芸術などすぐにのみこまれてしまいますね。
多くの名品を目の当たりにすると、「器械が発達してもやはり手書き・手作りだな」と思います。正倉院展を見ていつも最後に感じることです。

正倉院宝物の誕生は、756年に聖武天皇が亡くなったときに、光明皇后が遺品を東大寺大仏に捧げたことに遡ります。その後正倉は何度か修理され、1940年に皇紀紀元2600年を記念して、東京帝室博物館(現東京国立博物館)において「正倉院展」が開かれたようです。そして6年後の1946年に、奈良帝室博物館(現奈良国立博物館)で第1回正倉院展が始まり今に至ります。
正倉院(国宝)は、現在1棟しか遺っていない木造倉庫です。長い年月合理的に宝物を守ってきた正倉ですが、現在多くの宝物が眠っているところは、1962年に鉄筋コンクリートを用いて建てられた「西宝庫」だそうです。西宝庫も正倉院と同じように、北倉・中倉・南倉に分かれているようです。
年1度の正倉院展は毎年めちゃくちゃ混雑するので、今年は夕方に行ってみましたが、やはり並びました。でも見応えがあるため、いつもワクワクしてしまいます。
書も奈良・平安時代のものを見ると鳥肌が立つ感じを与えられますが、この時代の工芸や絵画を見ていても、その精緻でさわやかな技術にいつも衝撃を受けます。人間の気力や能力が研ぎ澄まされて濁っていなかったんだろうな、と思います。今回和玄は、「仮斑竹箱(げはんちくのはこ)」という、人工的に斑点を付けた竹を薄く削り、それを周りに施してある墨の箱が気に入りました。要所に柿の木が使われていて洒落てました。
書では、素朴でいて力強い唐経に単眼鏡で見入りました。書にもホントに多くの老若男女がくぎづけになっていました。こんな光景、今の大きな公募書展で見ることができません。ホントに多くの方が「わぁーすごい」とか「わぁー信じられない技術や」とか「上品ねぇー」といった純粋な感想をつぶやかれていました。現代の大字書による見せる芸術などすぐにのみこまれてしまいますね。
多くの名品を目の当たりにすると、「器械が発達してもやはり手書き・手作りだな」と思います。正倉院展を見ていつも最後に感じることです。



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