新しいコンテンツ(中庸・標準的な手書き筆文字を徹底的に追究するコンテンツ。書体は誰もが読める楷書・行書・カタカナ・ひらがな)〔その5〕(全5回)

 

その1〕〔その2〕〔その3〕〔その4〕からのつづきです。




文字の質に不満を感じるようでしたら、


どうかどうか  さらなるもの  を


自ら作ってください



それが最も明快です。




私が昔から求めている人は  教えたがり  ではありません。



圧倒的なバランス感覚と執念でゾクゾクとさせてくれる人です。







百害あって一利なしの鈍感な万言よりも、


敏感な人・上質な間(ま)の感覚を持っている人からの


書による寸鉄がありがたい。

ただ、きっと ものすごく難儀します。プラス 余暇はほぼなくなります。
拙速とか無思慮のものとかは無意味。悪影響をあたえるきらいがあります。
無い方がマシです。

巧速か巧遅ならば何とか人の役に立つはず





君子は行いを以て言い、小人は舌を以て言う」。




毎日毎日、45分ずつでも、その時間に大集中すれば、
できないことではありません。


2年ちょっと続ければけっこうな規模になります。

わたしたちは寸暇を惜しんで取り組んでいます。




これらの字に対して言いたいことがある

先達はたくさんいらっしゃると思いますが、わたしたちも


先達の文字(キッチリとした文字に関して)に対して言いたいことは山のようにあります。


そもそも文字から発する  “”  が当方の思い描くものとはズレています。

だからもう周りのことは、数年前からほぼあきらめています。




何はともあれ、

見た人は、いいと感じる方を参考にするはずです。



私たちが審査してもらいたいと思う人は、

何かの審査員にではありません。


世間一般の人々です。
しっかりとした書のプロ・具眼者、そして世に数十人いる楷書の猛者が、
安心して見られる質を追究していることはいうまでもありません。
最高の目利きと、
文字のことにあまり興味のない素人のかたの両方に
受け入れていただける質を目指しています。

ぱっと見の雰囲気である程度美しく見えるような、
情趣的でいきがった文字を安易に書くという〈
素人中の、その一部の方々だけが喜びそうな〉、
そんなことでよいのならば、実際のところあまり苦しむことなくサクサク書けますが、
楷書の猛者を納得させることを条件に入れたからには、本気になるしかありません。

書の実力は細かいところにあからさまに現れます。神は細部に宿る




また、


同じようなものが世にたくさんあれば見比べられますので、
おのずと人々の目も肥えてきます。
ほんのごくわずかかもしれませんが、
少しは公共的な利益・木鐸になるはずです。
塵も積もれば山となる




刺戟になるような、満足できるものがないから、


自分が思い描く理想の風合いのものがどこにもないから、


私たちは自分で作るという一番手っ取り早い方法を選びました。





今までこのブログでも(発信者を匿名にせずに)いろいろ言いたいことをいってきましたので、


あらゆる人の短を舎(す)て長を取って、


日本中で最上質(漢字・ひらがな・カタカナ、三分野での中庸)のものを、

自分できっちりと書く責務があります。




慢心・驕慢など毫もありません。


字には恐怖ばかりをいつも感じています。


こわくてこわくて仕方ない。





「筆(ペン)は一本、箸は二本」、書や文筆の世界で食べていくことは難しい。


中には筆を二本合わせて持って書く人がいらっしゃいますが、

これは妙案です(笑)。



(文字)という世界に恐怖を感じていると、

ついさっき書いた自分の文字がひどくてひどくてイヤになります。

そう簡単に納得できるものではありません。

むろん、見本文字のすべてに満足はできていません。

もっとこうすればよかったけどなあ、というものばかりです。

ほぼ例外なくすべてそんな感じです。小満足のものが数見本、

ごくわずかにあるだけです。



腕が上がるより眼が高まる度合の方が早く、

自分の書いたものに一生満足などできません。




「書を読みて己が感ずる所は抄録して置くべし。

今年の抄は明年の愚となり、

明年の録は明後年の拙が覚ゆべし。

是れ知識の上達する徴なり」〔吉田松陰〕



 
道ばたの短歌1.jpg
道ばたの短歌?吉川宏志.jpg
道ばたの短歌?西日本新聞.jpg道ばたの短歌?2014.10.23.jpg

「道ばたの短歌 弋叛邱┿
西日本新聞(2014.10.23)



三月書房京都.jpg

「三月書房」
京都市中京区寺町通り二条上ル西側





道ばたの短歌?吉川宏志西日.jpg道ばたの短歌?吉川宏志.jpg道ばたの短歌?西日本新聞.jpg道ばたの短歌?2014.10.24.jpg

道ばたの短歌吉川宏志(同 2014.10.24)





この世は、

芸事でも研究でもなんでも一生変わらず「日暮れて道遠し」。


当方は、(当たり前ですが)古典には心底懾伏しています。

だから慢心など一生持てるはずがありません。



当コンテンツでは、ごくごく当たり前のことを、当たり前に行っているだけです。

何のことはない、当たり前の技能です。


多くの人がごく基本的な当たり前のことを

きちんとできないだけのような気がします。




素人の方に、これらのサンプルと同じように書いてみてください、

というのはかなり酷な話ですが、



書を仕事にしている人が

こういうごくごく普通の、ごく初歩的・基本的なものを、

同じように書けないのであれば、


それは単に訓練が足りない・基礎力が全く足りていない、

ただそれだけではないでしょうか。
個性的なものなら・クセのあるものなら、同じように書く必要など最初からありません。
書けたところでどうということもない。
そういう文字を後進に真似させるようなことほど悪趣味なものはない




クセのない中庸の文字を書くということに関して、

競いたいと思う同時代人はいません。




自分にとっては、

己に克つかどうかということのみが大事。


自分自身のこだわりの気持ちを満足させるのが

何よりほんとに一番苦しくて厄介。





誰か特定の人に舵取りをして欲しいと思ったことは一度もありません。



偏ると失うものの方が大きくなることが往々にしてあります。



私自身の虎の子の技術を守れるのは・うまく引き出せるのは、

私自身しかいないと昔からずっと変わらずそう思っています。





むやみに人と関わると、

かえって下手になってしまう。。 感覚がくるっちゃう。。
(ただ、メンター的な人は昔からずっといます)






究極のところ




われ以外、




みな、




わが師
」。







特定の人の意見にこだわると息苦しいし感覚が濁ります。





また、私の場合は、


澄んできた水を誰かに濁らされるのが一番こわい。



澄んだ水をかき混ぜてちょっと違う種類の世界を表現しようとするなら、


その時期は自分で決めることであって、他人は関係ない。


今はとにかく、凪(な)いだ湖面のような文字を世に投じておきたい。



さきほど、

審査してもらいたい人は世間一般の人々云々というようなことを書きましたが、

例えば、真摯に取り組んでいたらどこかに見てくれている人がいるとか

どうとか、そんな浮世じみたセコイことなども考えていません。

「どこかに見ている人がいる」とか、そういう言葉ってよく耳に入ってきますよね。

でも、そんなことはホントにどうでもいい。

とにかく当方の頭の中にある理想像を形としてきちんと現しておきたい。




私は、フラットな関係の者同士が、

互いに、陽(よう)の良質な影響を与え合うことができるゾーン
において、

最大限の能力を発揮することができます。

鈍くさい秩序みたいなものによって、

自分の本気スイッチの開閉操作を乱されると、

質のよい状態で感覚を維持したり、

また、能力を高められなくなってしまいます。

さらには感覚が退化してしまう。

さあ!というときに全開にしたいのに、

その場面に合わすことができなくなってしまいます。

エッジのきかないことにグダグダと力を使って

ゴムが伸びてしまったらなんのことかわからない。

「角を矯(た)めて牛を殺す」というような状況に

身を投じることだけは避けたいところです。



戻しますが、


水を澄ませる(当方が思い描く風合いに近いところまでですが、むろんまだまだダメです)のに


20年ちょっとかかりました。




年がら年中、

書のことをずっと考えるようになってから
20年です。




われ以外、みな、わが師」ですので、 文字に関していえば、



あらゆる人の、


光っているところ・いいところはどんどん吸収したい。



流派とか何々会とか、そのようなことは当方にとってはほんとにどうでもいいこと。是是非非です。

偏執的になると視覚にフィルターがかかってしまいます。進歩できません




その上でさらに
求めているものは、


文字のことを本気で考え、ごく普通の文字を確実に書くことができる技を、

静かに磨き上げている同年輩や若い世代の同志が、

あちこちに無数に存在していている状態。




もし同じことをする人が日本のどこかにいたとして、

鼻っ柱をへし折られるような質を〔当方は高慢さなど持っていませんが〕、

隅々までしっかり具えていたとすれば、かなりの刺戟になり、

そして嬉しくなると思います(^^)。


さらにがんばろうと、心がさらに引き締まるからです。




特殊で高価な用具や機械、大掛かりな機材や大きな工場などは、

まったく不要( 腕前は必要です。 フデ より ウデ です ですので、


やろうと思えば、

だれでも・いつからでも・どこででもできます。


目を見張るような、

よい佇まいを示していたり、いい気を発していたりすれば、


必ず大きな参考にします。 凝視します。  まさに 三方良し” です。



書でアクロバチックなことをするのは人の自由ですが、

そういうものばかりをこれからの書の姿にするわけにもいきません。



今後ますます、

だらしないもの系、ドタバタ・
スラップスティック系が

増えてきそうな気配がありますので、私はまあ、

基本中の基本をきっちりと示すことによって、

底の方に大きな網を張っておかなければならないなあ、

という気持ちになりました。



上の方で好き勝手に

どんどんケッタイなことをしてくれても・おもちゃ箱をひっくり返したような字を

書いてくれても大丈夫です。引き立て役になってください(^_-)


落下してきても、網がありますので、それで吸収して文字が堕落することを防ぎます。



まだ今のところ、自分には、個性とか表現とか生命の躍動!とか、

そういうことを言っている余裕がありません。


表現の書の分野は、放っておいても、

何万・何十万という人が雨後のタケノコのように出てきて、

いくらでも好きなだけ

どんどんどんどん書いてくれますので、

何の問題もありません。





「あぁ、大したことないネ。コッチへかしてみな」

という人が世に
20人くらい現れて、

そういう人々が高度な感覚でしのぎを削るようになればなるほど、

世間の人々の文字意識がこれからどんどん高まってゆくはずですニコ


当方
もさらにギアを上げます。




あちこちから、


(もう)を啓(ひら)くまじめな芽をどんどん出しましょうキラキラ




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◇◇◇

当コンテンツでは、【日常生活の書】という項目も設けて、


このような見本も時々アップしていく予定です。↓





 
お年玉1.jpg

↑お年玉


「年」字の長い縦画は、もう少しまっすぐ垂直に書いた方が
よかったと思います。数倍に拡大して載せているのですが、
そうして見ると、やや気になってきました。
参考になさる場合は、各自で微調整しながら書いてください






お年玉2.jpg








おとし玉1.jpg





おとし玉





おとし玉2.jpg







おとし玉3.jpg




*これらの文字は、
A4の普通の市販のコピー用紙(少し上質です)に、
小さな枠をたくさん印刷して、
その枠にどんどん書いています。
紙の表面がなめらかですので、
書いた文字をこのように数倍に拡大して載せても、
線の肌が滑らかになっています。
固形墨はかなり上質のものを使っています。実はこれがとてもとても重要。
大事なものは、紙でも筆でもなく、固形墨の質。本当はあまり教えたくないことです


しかしまあ、こういうごく普通の線を、
ごく普通に書けるようになるまでは、
むろんかなりの訓練が必要です。

いずれコンテンツ内に、
当方が書いている枠サイズと同じサイズの枠を並べた用紙を、
プリンターで印刷できるページを設けます。

家にプリンターさえあれば誰でも印刷できますので、
同じ条件で練習できます。

枠を1.5倍に拡大し、
それをいくつか並べたものも用意する予定です。
1.5倍のほうは、
A4サイズの用紙に入る枠数がずいぶん少なくなってしまいますが、
最初のうちは大きめの方がはるかに書きやすいと思います。


見本は毛筆ですが、ペン・鉛筆・筆ペンでも、もちろん練習になります。

毛筆文字の力加減を、硬筆で書くときに意識することによって、
文字におのずと深みが加わってきます。







◇◇◇





数年前にこのブログ「和玄メモ」を開いてから、
今までここに載せてきた、
種々の見本文字のほとんどすべては1回書きですが、

新しいコンテンツに採用する名前見本文字は、
ひとつを書くのに、
多いもので30回くらい書いたものがあります。
30回書いてもまともな形にならないときは、
かなりへこみます。
それはカタカナの「タマキ」だったような気がします。
かなり難儀した覚えがあります。

(野球なら30打数1安打。深刻です。相撲なら二場所つづけて全敗ということです。
書で、清書ときめた場面で実力が問われるのは三回まで。それ以上は悪あがき。
臨書はとことん無数に書く、それは当たり前です)





ただ、

おそらく、
経験の浅い方が、当コンテンツの名前見本文字を横において、
それと同じように書こうとすれば、
いずれの名前・いずれの書体も、
30回くらいでは、同じようには到底書けません。
ほぼ言い切れます。

書けたらびっくりします。


700回でも800回でも1000回・2000回以上でも、
同じように書けるまで書いてやろう、
という心意気があれば、

普通の線を、普通の字形を、ふつうに書ける力が、
着実に身についてきます。
上達できる可能性があります。
(
少しきついことを言えば、それくらいの気概がなければ上達などできません)


そうなれば、

例えば手紙の宛名や便箋などを、
さらさらっと書けるようになってくるはずです。
鉛筆で下書きをしてからそれをなぞる、という書き方もありますが、
それはやめた方がいいでしょうね。
ド素人に毛の生えたようなうちはやむを得ないかもしれませんが、
そんなことばかりしていると、
感覚がどんどん鈍って、下書き無しでは書けない人間になってしまいます。
下書きをする時間と消しゴムでその下書きを消す時間、かなり無駄です。

[一応説明しますが、墨文字は消えず、鉛筆文字のみを消せるため、このようなことができます。
例えばもし、鉛筆による文字で手本などを書かなければならないなら、
もちろん下書きはできません。
消しゴムをあてたら、むろんまるごと全部消えます(笑)。
そのまま普通に書けない人はライトテーブルとかを使うのかな。書きにくいだろうなあ
]

ぐっと集中して、
“無地のところにバランスよく書こうとするとき・書いているとき”に、
前頭葉がより活性化するという研究結果も出ています。
脳に負荷をかけて脳の力をひきだしましょう。
枠を書いた下敷きを紙の下に入れたり、
鉛筆で下書きをしたりするということは、
集中して同時にあれこれと考えることを放棄してしまうことです。
精神がだらける分、脳への負荷は当然低下してしまいます。
働きを活発にできません。
無地に直接書くというのは、普通はまあ当たり前のことで、
こんなことをわざわざ書くこと自体甚だあほらしいのですが、
〔大きな紙面であっても〕無地の紙面に書くことに慣れてくれば、
文字を書く前から、頭の中に、
紙面の全体像がすみずみまでふわぁっと
浮かび上がってくるようになってきます。
あとはそれを手で再現する、そんな感じです




懸命に書いていれば、

知らないうちに線や形が鍛え上げられているはずです。




技芸の修得に近道などありえません。



書は、経歴何年とかそんなことではなく、

今、ほんとに書けるか書けないか、それが大切です。









◇◇◇





書はあたり前と見えるのがよいと思ふ。


無理と無駄との無いのがいいと思う。


力が内にこもつてゐて


騒がないのがいいと思ふ。


悪筆は大抵余計な努力をしてゐる。


そんなに力を入れないでいいのに


むやみにはねたり、伸ばしたり、


ぐるぐる面倒なことをしたりする。


良寛のやうな立派な書をまねて、


わざと金釘流に書いてみたりもする。


書道興つて悪筆天下に満ちるの


観があるので


自戒のため此を書きつけて置く。



高村光太郎「書について」昭和14年











高村光太郎筆
「うつくしきもの満つ 
(34センチ×29.8センチ、昭和25年)


◇◇◇





t高村光太郎1956年中野アトリ.jpg

高村光太郎 昭和31年




◇◇◇







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